KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

獄中記


獄中記

獄中記


私はテレビを見ないので、この人のことはいわゆるムネオ問題が話題になっていた時はほとんど知らなかった。
むしろ、最近手嶋氏との共著などで知るようになったくらいなので、もともと悪いイメージが個人的にはなかったりする。


この本はなかなか面白い。自らの逮捕を国策によるものだと言いながらも、国家に対する不平はほとんどなく、理知的な批判と言う形で行っている。


後半になると、裁判に関する話は少なくなり、専ら哲学的な思索や後輩へのアドバイスが大半を占めるようになる。独房にいることが思索の妨げになるどころか、むしろ助けになると考えているようだ。常日頃の思索の深さが、逆境に陥った時の強さにつながるのかもしれない。


終章に書かれている、死刑囚に対する記述が興味深い。

他の囚人については、時間の経過とともに顔の表情や着衣などがあいまいになってくるのであるが、死刑囚については表情の細かい様子や漏れ聞こえてきた死刑囚と看守の会話の内容などが記憶に定着して離れていかないのである。


(中略)


私の隣人で、いつも沈着冷静で、真摯に読書と思索に取り組んでいた確定死刑囚については、ある弁護士の尽力で、この人のお母さんと連絡を取ることができた。手紙で息子さんの獄中での様子を伝えたところ、ていねいなお返事をいただいた。息子さんの様子について連絡する機会が得られただけでも、私が投獄された意味があると思っている。

現代日本で死刑を宣告されるような人間と言えばまさしく人間の屑のような連中のはずで(誤審がないとすればだが)、佐藤氏の知的レベルからすれば本来まともに会話も成立しない種の人間なのではないか、とすら思えるが、独房と、いずれ待っている執行という特異な環境が急速に思索の深さを深めるらしい。


今は、日本で政治犯が死刑になることはまずないだろうが、世が世なら自分も・・・・と言う思いがあったのかも知れない。