KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

ダブルノットにこだわる理由


積み上げてる古新聞を整理してたら、6/8日経文化面で、作家の伊藤たかみさんの「ダブルノットにこだわる理由」と言う文章が書かれているのに気がついた。


なかなかいい文章なので、備忘のため書き写しておく。

大学卒業時、一生懸命にサラリーマンになろうとしていたことがある。


必死に就職活動をしたのに、どこの会社にも拾ってもらえなかった。一浪二留をしてしまい、本格的な就職活動は九四年から九五年にかけてだったから、いわゆる平成不況の始まった頃だ。しかしそれを差し引いても、成績は悪く一般常識もない若造とあっては仕方がない。当時受けていた会社の人事担当者がぽつりと言った言葉を、今でもよく覚えている。


――君ってちょっと、うちには派手すぎるんだよね。会社に向いてないよ。


唖然とした。こちとら、まったく派手とは無縁なはず。髪の毛もこざっぱりと短く、はきはき丁寧に受け答えをし、笑顔を絶やさず面接を受けていた。これで派手だというのなら何をどうすればいいのか。髪型を七三にするか、べっ甲のメガネでもかけるしかないではないか。内心憤激していたが、人事担当者が予言したとおり、案の定その後の就職活動もさんざんな結果になった。


就職活動も締め切りになり、あいた時間で小説をかいた。応募したら入選して、そのまま作家稼業を始めることになった。


当時はサラリーマンになるための足かけ、生活費を稼ぐ手段と考えていたが、気がつくとそれから十三年も経っている。十年以上どうにか食べていけたのだから今の人生に不満はないが、それにしたってどうしてあの時誰も拾ってくれなかったのかという気持ちは消えていない。スーツを着て会社に通いたかったのである。


しかし同時に、あの人事担当者はある意味で目利きだったのかなとも思う。要するに、小説家になるための資質や才能と同様、サラリーマンになるにも資質と才能が不可欠なのだ。残念ながら当方、それには恵まれなかったのだろう。

小説が入賞してそのまま作家人生なんて、なんて羨ましい人生かと思うが当人にとってはそうでもないらしい。私はこの人の数年後に就職活動したが、実に苦労した。学歴以外に何もなく、人としゃべるのも今以上に苦手だったので辛くてしかたなかったのである。


どこもあまり先には進めず、今の会社に拾ってもらった時は本当にホッとした。正直に言うと、就職活動を始めたときにはよく知らない会社だった。後で調べると小さい会社ではなかったし、社名を知らなかったのは自分が無知なだけだったのだが大学の同級生の就職先にくらべるとそれほどパッとしなかった。とはいえやっとの思いで拾ってもらった会社だったので、それなりに愛着はあった。今は就職当時とは社名が変わったのですこし微妙だが・・・・


私も、営業とかを普通にこなせて「サラリーマン」に速やかになじんだ同期の人間が羨ましかった時期があるなあ。今でも少しそういう気持ちはある。自分の場合、今いる部門以外ではほとんど使い物にならない気がするし。

そういえば、子供のころ、しょっちゅう父の洋服箪笥からスーツを引っ張り出し、隠れて着ていた。いっぱしの大人になった気分で、サラリーマンのコスプレを楽しんでいたのかもしれない。そのうち父に見つかってネクタイの締め方を伝授された。新入社員のように緊張しながら、ダブルノットの結び方を仕込まれた。


たまにスーツを着るとき、もっと細い結び目のほうがあなたには似合うんじゃないのと他人に注意されることもある。けれど僕は、何を言われても聞く耳を持たない。どうしたってダブルノットでネクタイを締める。


なぜならそれは、僕の叶えられなかった夢の名残だからだ。


そして多分、ちっとも似合っていないのだろう。いつまで経っても。

流石にプロ作家ってすごいなあ、としみじみしたいい文章だ。締め方もいい。


そういえば、私も会社の方でクールビズ奨励されているのに未だにネクタイを締めている。入社当時はスーツとかネクタイが嫌いだったはずなのに、今はむしろ締めないと自分自身を鏡で見たときに違和感を感じる。


もう入社して十年以上たつのに、未だにネクタイの締め方は上手くないし、ワイシャツの上のボタンを外したりしてるので決してきちんとしたスーツの着方ができていないのであるが。


どうも、サラリーマンとしてまだ馴染んでないから、逆に「ネクタイ」と言う記号にこだわっているような気もする。