KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

学歴と出世に関する考察

標記のテーマについて、こういうモデルを作って考えてみた。


まず、単純化のために有名大学A大学と非有名大学B大学の2大学しか存在せず、大企業A社と非大企業B社しか存在しない世界を考える。


そして、以下の4名の学生が存在し、それぞれの能力は下記の通りとする。ここで言う「学力以外の能力」とは対人コミュニケーション能力とかリーダーシップとか体力とか容姿とか、とにかく学力以外のすべて、ということでご理解ください。


        学力    学力以外の能力   合計

A君       80       60       140
B君       90       30       120
C君       60       80       140
D君       70       50       120


大学の入試試験、入社時の面接は公平で正確であるとの前提をおくものとする。


さて、大学入試は学力のみの判定試験と考えられるので、以上の4人が大学に入った時点で、それぞれの関係はこうなるだろう。


A大学学生  A君とB君

B大学学生  C君とD君


B君はA君を見て、「あいつは俺ほど頭が良くないな」と思うかも知れない。一方、A君はB君のあまりの変人ぶりに閉口するかも。

D君はC君を見て、「あいつは面白い奴だけど、頭は俺の方がマシだろう」と思うかも知れないし、C君はD君を見て、「俺は頭はよくないかも知れんけど、友達も多いし、モテるし」と思うかも。


大学が違う者同士は比較的接点が少ないので、双方なんとも思わない。


そして、4名が大学を卒業し、就職した後はこうなるだろう。就職時には学力含む総合力が問われると考えられる。


A社社員  A君とC君

B社社員  B君とD君


実際には、短期間の面接だけで非学力的能力の全てを判定できるのか?と言う気もするが、まあ、面接で要求される「自分自身をアピールする能力」というのは入社後もものをいう能力だから・・・と一応ご理解ください。


A君はC君を見て、「頭は良くなさそうだけど、すごいバイタリティのある奴だなー。」と思うかも知れないしC君はA君を見て「頭のよさそうな奴だな。でも大人しすぎるんじゃないか」と思うかも知れない。


B君はD君を見て「何でこんな奴と同じ会社に・・・」と思うかも知れないし、D君はB君を見て、「頭はいいかも知れないけど、仕事には全然使えねー・・・」と思うかも知れない。


会社が違う人は、接点が少なくなるだろう。A君とD君、B君とC君は生涯出会わない可能性も高い。上記のモデルのように、実はD君より対人能力を初めとする非学力的能力の高いA君が存在するケースであっても、D君は「高学歴の奴って実務では使えない」と言う学歴無用論に傾いてしまうかも知れませんね。


さて、こうして見てくると、個人的には最終的に一番生涯収入が高くなる可能性が高いのはC君ではないか、と言うような気がする。公務員とかはよく知らないけど、民間企業の場合は学歴がそれほど大したことなくても仕事ができる人は会社の中で出世していく可能性が高いし、学力がものをいう専門的な職種というのは限られているし、上手くそこに潜り込めるかどうか。中には、学歴もピカピカで対人コミュニケーション能力も高い「スーパーA君」というような人も存在するが、そういう人はそもそも少数派だろうし、そのまま役員になってしまうような人たちだろうと思うのであんまり相手にしても仕方ない。

一方、一番ストレスの強そうなのはB君だろう。同窓会とかでA君に会ったら、「大学時代は俺の方が優秀だったのに・・・」と悔しい思いをするかもしれない。こういう人は、思い切って大型資格などに活路を求めるのも一手かもしれない。それなりにリスクはあるが。


研究者を目指す人などならまた話は別だが、普通に就職するような場合は学歴とは「学力、自制心、向学心を示す指標」以外の何物でもないと思う。そもそも入試の時点ではペーパーテストしかしてないのだから、それ以外の物を求めてもしょうがない。例えば有名大学の学生が犯罪を犯すと喜んで報道されたりもするが、そりゃそれなりの人数を集めてるんだから変なやつが混ざってても仕方ないでしょう、と。小学校じゃあるまいし、今更大学に道徳教育を求められても。


また、上のモデルを見ても分かる通り、わずかな学力の差を過大にとらえるのも、またバカバカしい。結局、総合的な能力を高めることが重要なわけで。偏差値のわずかな違いで争うのはしょうもないな、と。


偏差値と言う目に見える数字があるせいか、学歴だけは妙に尊重されたり逆に「学歴無用論」が声高に唱えられたりするが、どっちも極端だ。「学力、自制心、向学心を示す指標」はサラリーマンとしての適性を示す指標としてはそれなりに価値があるんだろう。もちろん、それだけでは不足なので、どこの会社でも面接をする。入社してからもさまざまな場面で総合的な能力が問われる。「学歴無用論」者が前提としがちな「学歴だけで渡っていける社会」と言う観念こそが幻想にすぎないのでは?学歴を過度に否定するものも、学歴に過大な期待を持っている(た)ことの裏返しではないか、と思う。


まあ、GMとかシティが経営危機になるご時世だから、大企業に入れば一生安泰、と言う時代でもないし、あくまで単純化したモデル上の話ですけど。また、出世とか金銭的成功にそれほど価値を置かない人もいるだろうし。