三国志武将の死にざま(三国志・戦国)
登場人物が異常に多い三国志だが、それだけに死ぬときは理不尽にあっさり死ぬ。
三国志武将の死にざま
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1 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/08/31(金) 17:14:14
有名武将からマイナー武将まで
陳登
刺身好きで寄生虫に蝕まれて死んだ。
11 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/08/31(金) 22:32:44
田豊
官渡の戦いの大敗後、逢紀に「田豊めは将軍の敗退を聞いて手を打って大笑いし、自分の言葉が的中したと喜んでおりました」と告げ口され、怒った袁紹は田豊を殺害した。
12 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/08/31(金) 23:37:12
>>11
可哀想なお爺ちゃん
13 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/08/31(金) 23:41:38
こうして振り返るといつの間にか死んだ武将沢山いるよな。
15 名前:きどたかよし ◆maqTxNBiUg [sage] 投稿日:2007/08/31(金) 23:56:58
張合B…めくるめく移りゆく乱世の中、彼は永遠に死に続けるのだ…
16 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/01(土) 00:02:33
徐晃孟達に弓矢でサクっとやられた。
17 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/01(土) 00:30:16
それ演義
24 名前:佐倉広夢 ◆IENTwyoWGs [sage] 投稿日:2007/09/01(土) 15:27:17
>>16-17
演義って魏呉の名将が戦死しないと気がすまないらしいね。
25 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/01(土) 16:41:04
しかも訳のわからん奴に殺される仕様
27 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/01(土) 18:38:58
夏侯惇も呪いだったの?
28 名前:無双ファン ◆.IjycOFqtg [sage] 投稿日:2007/09/02(日) 00:16:52
幽霊見てぶっ倒れたんじゃなかったか演義なら淳于瓊を推しとく
29 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/02(日) 02:34:41
ほんとだ。夏侯惇
220年、曹操の危篤に際し枕元へ呼びつけられると、そこで嘗て曹操が殺害した人物達の亡霊を見てしまう。これに夏侯惇は昏倒、その後間も無く死去した。
おもいっきり曹操のとばっちりだね。
30 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/02(日) 03:06:19
李儒いつのまにか死んでた。
菫卓と同じく呂布に殺される。
31 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/02(日) 04:03:26
曹真王双の死に衝撃を受けたあまり背中に巨大なできものができ、
それが潰れて病死
王朗
諸葛亮と舌戦の末に論破され恥ずかしさのあまり憤死
三国志読んでると張コウは二回死んでるように読めるので「おかしいなあ・・・」と思いながら読んでた。ウルフマンみたいな奴だ。
36 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 02:06:48
司馬師死因:目玉びよよ〜ん
37 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/03(月) 10:15:54
劉ジン一家無理心中
38 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 10:19:09
孔融「おめえ(曹操)に劉玄徳が討てるわけないだろうがwww」
→その子供も巻き添えで打首、市に晒される。
39 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 10:23:34
劉セン(劉禅の長男)勘違い貴公子・鐘会と亡国の大将軍・姜維の企図した反乱に巻き込まれて
その嗣子と共にどさくさまぎれに殺害された。
40 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/03(月) 10:30:21
孫奉(孫策の孫)孫皓がその愛妃の死によりしばらく人前に姿を見せずその死が噂された際、
次の皇帝候補として名前が挙がっただけ(つまり全くのデマ)で誅殺された。
41 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/03(月) 10:38:25
>>32-33
王允「董卓の女婿・牛輔も片付けておかないといかんな」
呂布「では、我が親友・李粛に討たせましょう。李粛よ、しかと頼むぞ。」
李粛「お任せあれ。」〜コテンパンにやられて逃げ帰る〜
李粛「面目ない…。」
呂布「この役立たず!見損なったぞ!お前なんか打首だ!」〜終了〜
48 名前:無名武将@お腹せっぷく[] 投稿日:2007/09/04(火) 09:52:54
王累劉備入蜀に際し、彼をあまりに信頼しすぎる主劉璋を諌止するため
自縄し、城門から逆さ吊りにて強訴するも容れられず、自ら足縄を
断って落下、頭骨を砕き諫死を遂げた。死に方が地味派手な忘れられない人物シリーズより
63 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/05(水) 11:56:14
楊奉
劉備から酒宴の招待を受け、席上殺害された。楊懐
劉備から酒宴の招待を受け、席上殺害された。高沛
劉備から酒宴の招待を受け、席上殺害された。
66 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/05(水) 16:23:52
鮑信
曹操を逃がすために戦死。
68 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/05(水) 16:39:50
吾粲
呉の名執政官として功績を挙げたが、二宮の変において、讒言を信じた孫権により処刑された。
三人ともひでえ。
比較すれば曹操が一番マシかも・・・・
69 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/05(水) 16:48:05
馬騰
曹操により謀殺
馬休
曹操により謀殺
馬鉄
曹操により謀殺
70 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/05(水) 16:57:26
>>69
正史の記載ならこうなるね。馬騰
朝廷に仕えていたが、息子・馬超が反乱を起こしたため、曹操によって処刑された。馬休
朝廷に仕えていたが、兄・馬超が反乱を起こしたため、曹操によって処刑された。馬鉄
朝廷に仕えていたが、兄・馬超が反乱を起こしたため、曹操によって処刑された。
77 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/06(木) 11:44:53
禰衡〜毒舌吐きまくり〜
曹操「こいつムカつくけど殺したら俺の評判が…よし、劉表の下へ追い払おう」
〜やっぱり毒舌吐きまくり〜
劉表「こいつウザいけど殺したら俺の評判が…仲の良い黄射(黄祖の子)に面倒を見させよう」
〜それでも毒舌吐きまくり〜
黄祖「こいつ図に乗りおって…息子の紹介とはいえもう勘弁ならん、殺してやる!」
〜終了〜
80 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/06(木) 16:34:50
吉平
曹操暗殺失敗
董承
曹操暗殺失敗
黄奎
曹操暗殺失敗
王子服
曹操暗殺失敗
93 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/06(木) 20:03:00
鄭小同(後漢の儒学者・鄭玄の孫)祖父同様に学者として名高く、魏の侍中・関内侯、さらに五更となる。
ある日、鄭小同が司馬昭を訪ねていったところ、司馬昭は席を外していた。
実は、その時司馬昭は機密文書の作成途中で中座していたのだ。
戻ってきた司馬昭は「机の上の文書を読みませんでしたか?」と鄭小同に尋ねると、
もちろん鄭小同は「いいえ」と答えたが、司馬昭は信じることができなかった。
ついに「私があなたに背くことはあっても、あなたを私には背かせない」と言い、
鄭小同に毒を飲ませて殺してしまったのである。
94 名前:無名武将@お腹せっぷく 投稿日:2007/09/06(木) 21:03:07
>>93
司馬昭って自分が皇帝にならず息子を皇帝にした話といい、ホント曹操と被るな。
俺が天下に背こうとも、天下の人間が俺に背くことは許さん。
115 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/10(月) 16:16:38
韓馥後漢の冀州牧。筋金入り(?)の臆病者。
荀褜「袁紹が公孫サンと組んで冀州を狙っているみたい。ところで、自分と袁紹を比べてどう思う?」
韓馥「彼は反董卓連合の盟主だもの、何一つかなわないよぉ…」
荀褜「じゃあ、冀州譲っちゃいなよ。それで身の安泰は間違いないさ。」
韓馥「そ、そうかな…そうだよね、うん、そうしよう。」
冀州の支配権を袁紹に譲った後、いろいろあって陳留太守・張バクのもとへ逃れる。
しばらくして袁紹の使者が陳留へ来たのだが、交渉の席で使者が張バクに耳打ちをした。
韓馥「ひぃー!あ、あれは私を暗殺する相談に違いない。あわわ、どうしよう…
とりあえず厠に隠れなきゃ!」
〜厠の中で〜
韓馥「こんなところに隠れても誰かが用を足しに来たら見つかっちゃう…
もうダメだ、私に逃げ場所はないんだぁ…」
そして、厠の中で自殺してしまいましたとさ。
137 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/18(火) 13:13:32
訒芝蜀の車騎将軍。劉備の死後、呉に赴いて孫権との同盟を締結させた使者として有名。
ちなみに、その後も孫権からはたびたび手紙や贈物が届けられていたという。
何事にも信賞必罰で臨み周囲の信頼も厚く、諸葛亮亡き後の蜀を背負った重鎮の一人。延煕11年、フ陵において叛乱が発生し、郡の役人が殺害される事態となったため、
既に70歳を超えていた(と資料から推測される)訒芝だが、すぐさま一軍を率いてこれを鎮圧した。
この征討戦の途中、山道を行軍中にふと猿を見つけ、訒芝はそれを弓で射た。
彼の射た猿はどうやら母猿だったらしく、ほどなく子猿が母猿の傍に近寄って来て、
母に刺さっていた訒芝の放った矢を抜いて、その傷口に木の葉を巻く光景を目のあたりにした。
訒芝は嘆息して「物事の本性に背いた行動をとってしまった。私は直に死ぬだろうな。」と漏らした。
それが原因かどうかは定かではないが、その3年後に訒芝は亡くなったのである。
138 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/18(火) 20:18:30
3年て結構長いよな
139 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/18(火) 22:00:28
>>138
俺も思ったw
歳が歳だし、特に因果関係無いと思ってしまうw
141 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/19(水) 15:10:38
高岱父・高彪は名文家として高名であり、高岱も幼時からその聡明さを称えられ人望を集めていた。
30余歳となっていた高岱は会稽郡内に隠棲しており、そこへこの地を制した孫策から丁重な出仕要請があった。
高岱はそれに応じ、孫策との面会に臨もうとしていたのだが、そこへある人からの助言があった。
「孫将軍は自分より優れた者に対して憎しみを抱かれることがあります。
危険な目に遭わないためにも、将軍からの質問には『存じ上げません』と答えておいた方がよろしいかと。」
一方、孫策は高岱の得意分野が左伝であると知ったため、自身も熟読してぜひ高岱と議論したいと思っていた。
しかし、高岱に対してアドバイスした人が孫策にも面会しており、なんとこう告げていたのである。
「高岱は孫将軍のことを、武勇には秀でていても文才は持ち合わせていないと考えております。
議論の最中、彼が『存じ上げません』と返答するようなら、まさしく彼がそう思っているということかと。」双方がその人物のアドバイスを真に受けてしまったので結果は言うまでもなく、
『存じ上げません』と繰り返す高岱に対して孫策は激怒、彼を牢に入れてしまう。
それを知った知人・友人などが大挙群れをなして必死の懇願を行ったのだが、
逆に孫策は、高岱が余りにも人々の心を掴んでいることを危惧し、彼を処刑してしまったのである。
142 名前:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2007/09/19(水) 23:55:33
>>141
これは悲劇w
しかもなんとか回避したかと思ったら、結局孫策が殺してしまう所が救いようがないwww
孫策の狭量さが出ちゃったエピソードだな・・・
中国は今でも死刑大国だが、こういう時代の空気を未だに引きずっているのだろうか。