KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

引越し

引っ越します。ブログでなく、リアルの方で。

今住んでるところには、もう8年以上住んでいるのだが、ここに引っ越すとき旧本家(ちゃぶろではなく、ジオシティーズの方)でこんなことを書いた。


モナー総研旧本家管理人コラム「ここでリセットしろ」

引越しをすることにした。現在僕が住んでいるのは会社の独身寮であり、一応単身者ならば30才になるまでは居られることになっている。大体は、結婚して出て行くか、30になって出て行くのが普通なのだが、28才と4ヵ月にして出て行くことに決めたわけである。特に結婚の予定があるわけではない。


 もちろん、このコラムの最初「楽園はどこにあるのか」(このページの一番下)でも書いたとおり、古くて狭い会社の寮で、いい年して風呂・トイレ共同の生活を強いられるのに嫌気がさした、というのが最大の理由であるが、寮費は安いし、光熱費は会社持ちだし、コストを考えれば30になるまで居るのが合理的判断と言うものだろう。引っ越したからといって会社から家賃補助が受けられるわけでもなく、今後、月にして7万円程度支出が増えることになる。30まで居ることに比べたら7万円×20ヵ月=140万円ほど余計に金がかかる計算だ。交通の便最優先で選んだので、通勤時間は片道30分ほど短くなるし、部屋も広くなるのだが、140万円の追加支出に見合うかどうかは微妙だろう。正直、自分も30まで寮にいるつもりだった。


 今回、不合理な決断をするに至ったきっかけとして、以下のようなことが挙げられる。


きっかけ1
寮の会計担当から、寮費明細が回ってきた。その時「ああ・・・今の寮生の中で、俺が一番上の年次なんだなあ」と言う事に気がついた。(正確には、同期がもう一人居るが)。


きっかけ2
僕の同期の年次を対象とした研修が先日あって、既に同期の半分くらいが結婚していて、当然寮に居る人間など少数派であることを知った。


きっかけ3
その研修の後、仲の良い同期の友人と飲みに行った。その友人が「みんな、立派になってるな・・・。会社に染まって・・・。」というようなことを言っているのを聞いて、「よく分からないが、もう既にサラリーマンとして『固まって』来つつあるのだろうか?」という感覚を抱いた。


きっかけ4
寮に来た時に買ったスリッパの底のクッションが外れ、自分がかなりの長期間(実際は4年くらい)寮に住んでいることを再認識した。

と、言うような、人から見たら「ささいなこと」ばかりなのである。


 ただ、同年輩の人なら同じような感覚を持っているのではないかと思うが、28というのは30を目前にして色んな意味で「後戻りが出来なくなる」年齢でもある。会社ではそれなりに仕事もこなし、後輩を指導するべき立場にもなり・・・というところだろうし、私生活では結婚もして、場合によっては子供もいて、と言うことで生き方の選択肢がほぼ固まって動きづらくなるところではなかろうか?


 それが嫌なら、相当な無理をしなければならない。作家の中島らもは、彼のエッセイ「心が雨漏りする日には」によると27才の時に最初に勤めた印刷屋を退職したらしい。その後、フーテン生活を経て、コピーライター、作家へと転身していくわけだが、彼が会社を辞めたきっかけは「TVで矢沢永吉が出ていたから」だと何かで見た覚えがある(どこで見たかよく覚えてないので記憶違いの可能性もないではないが)。


 幸か不幸か、僕はTVで永ちゃんを見なかったので「あ・・・会社辞めよう」とは思わなかったが。しかし、TV見て「辞めようと思った」と言うのは彼一流のギャグと言うもので、実際には「こんな仕事続けたくない」と言う気持ちが積もり積もって、というのが正しいところであろう。


 自分の場合、仕事自体は「まんざらでもない」と思っているので会社を辞めるには至らなかったが、30になるまで寮で会社の管理下におかれ、それを回避するには結婚くらいしかない、と言う状況に「閉塞感」を感じていたのは確かだし、一度自分のこれまでの生活に「リセットボタンを押したい」と言う気持ちが膨らんでいたのも確かである。


 しかも、これも幸か不幸かよく分からないが、僕には車も無いし、結婚の予定も無いし、どちらに対してもさほどの興味を持っていない。であれば、今の収入で一人で暮らすには充分である。そう思い至ったとき、寮にとどまる必然性を感じなくなった、と言うところである。


 いずれにせよ、このサイトの管理人としては皮肉なことに「人は経済合理性に基づいて判断するとは限らない」と言うことを自ら証明するかたちになってしまったようである。

会社の寮に比べればマシとは言え、交通の便最優先で選んだので割と古くて狭い部屋。当時は、ここに8年間も住むことになるとは思ってなかった。ただ、会社の管理下にいることから逃れたい、一人で暮らしたいと言うそれだけしかなかったと思う。


気付けば、会社の寮にいた期間のほぼ倍の8年間をここで過ごしたことになる。子供の時から社会人生活の最初までいた、京都の実家の次に長い。


思えば、「会社に染まら」なかったことで何か良いことがあったかと言うと、あんまりなかったような気もする。気楽な生活が好きだったけど、そういう気持ちと言うのは勤務態度にも現れるのか、僕はそれほど会社で評価されていたと言うほどでもない。それは価値観の問題なので、どちらが良いとは言い切れないとは思うが、色々と釈然としない思いをしたこともあった。


2009年の4月頃から出向していたのだが、最近出向元に呼び戻された。出向は気楽でよかったけど、やはりまだ気楽にしているだけではいけない、と言うことなのかもしれない。


この部屋が一番頼もしかったのは、去年の東日本大震災の時。ちょっと頑張れば歩いて帰れる距離に家があると言うのはどんなに恵まれていることか、と感じさせられた。


とは言うものの、次に引っ越すところは、会社からさらに近い。多分、一人で借りるにはちょっと高い、と言うようなところである。(ただし、以前は家賃補助がなかったが今は色々な事情により家賃補助はもらえるようになっているが)


多分、今回の引越しが経済合理性に見合うかと言うとそうでもないような気もする。詳しい理由については気が向けば書くが、やはり、人は経済合理性に見合った行動を取るとは限らない、と言うことをまたしても示したことになるだろう。


会社の寮に居たころから持っていた本棚も今回処分する予定である。本は相変わらず多く持っているが、それでも大分整理した。前回もリセットではあったが、今回はさらに徹底的にリセットを行う感じである。


8年間暮らしたこの部屋を去るのはいささか寂しい気持ちもある。何となく、実家を去る時よりも寂しい気持ちかも知れない。一人暮らしの気ままな生活を支えてくれたのは何と言ってもこの部屋なのだから。それでも、いずれは去るべき時が来るのだから、これはこれで良いのだろうと思う。


8年間、どうもありがとう。