KJ-monasouken’s diary

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別冊宝島・中島敦など


端正・格調高い文章を味わう 中島敦 (別冊宝島1625 カルチャー&スポーツ)

端正・格調高い文章を味わう 中島敦 (別冊宝島1625 カルチャー&スポーツ)


先日、生誕100年ということで日経にも出てた中島敦の特集。

中島敦は作品数が少ないので、たぶんここに収録されているので主要作品はカバーされていると思う。


教科書の常連の「名人伝」「山月記」「李陵」にくわえ、「光と風と夢」「斗南先生」「狼疾記」も収められているのが嬉しい。


ちくま文庫の全集では後者の作品群は収められていなかったのだ。


芥川賞候補となった「光と風と夢」も文句なく素晴らしいが、作者自身の姿が浮かび上がってくる「斗南先生」「狼疾記」もいい。

以下は、狼疾記からの引用である。

その時、彼は自分に可能な道として二つの生き方を考えた。


一つは所謂、出世―名声地位を得ることを一生の目的として奮闘する生き方である。もとより、実業家とか政治家とか、そういうものは、三造自身の性質からも、又彼の修めた学問の種類から云っても、問題にならない。結局は、学問の世界に於ける名誉の獲得ということなのだが、それにしても、将来のある目的(それに到達しないうちに自分は死んでしまうことになるかも知れない)のために、現在の一日一日の生活を犠牲にする生き方である点に、変わりはない。


もう一つの方は、名声の獲得とか仕事の成就とか言うことをまるで考えないで、一日一日の生活を、その時その時に満ち足りたものにして行こうというやり方、ただし、その黴の生えそうなほど陳腐な欧羅巴出来の享受主義に、若干の東洋文人風な拗ねた侘しさを加味した・極めて(今から考えれば)うじうじといじけた活き方である。


さて、三造は第二の生活を選んだ。今にして思えば、之を選ばせたものは、畢竟かれの身体の弱さであったろう。喘息と胃弱と蓄膿とに絶えず苦しまされている彼の身体が、自らの生命の短いであろうことを知って、第一の生き方の苦しさを忌避したのであろう。今に到るまで治りようもない・彼の「臆病な自尊心」も亦、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく恥かしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自らの前にも曝しだすかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのであろう。


「臆病な自尊心」という言葉は「山月記」にもある。「山月記」は詩人になる夢を抱いた男が官を退いたものの、文名は上がらず困窮のあまり虎になってしまう話だが、主人公の口から、虎になった理由についてこんな言葉が出てくる。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師についたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。


己の珠に非ざることをおそれるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することもできなかった。己は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶とザンイとによって益々己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果となった。


人間は誰でも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが各人の性情だという。己の場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。


之が己を損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。


高校の時「山月記」を読書感想文の題材として出したことがある。何を書いたのか詳しくは覚えていないが、「この、虎になった主人公は作者自身の投影だろうか。この主人公は虎になったが、中島敦は虎にならなかった。なんという強靭な精神であろうか」とかなんとか書いたような気がする。私の読書感想文は入選までは至らず、その候補として名前だけ出された。


「主人公自身が作者の投影」と言うのはそのとおりだろうが、強靭な精神というのはまた違っていたのかな、とも思う。


いずれにせよ、中島敦の格調高い文体と「臆病な自尊心」という言葉は高校時分の私に強烈な印象を残したのだろう。


上記の引用部分と、国語の便覧に出てくる中島敦の神経質そうな写真を見ると、ずいぶんと内省的で暗い印象の人格をイメージすると思うが、実際には結構活動的で外向性の部分もある人だったらしいと、後年中島敦の伝記を読んで知った。

この本でも、

快活な座談の名手と憂鬱な魂の彷徨者、この対照的な二面性のうちにこそ、汲めども尽きぬ中島文学の魅力の源泉があるというべきだろう。


やはり、すぐれた才能を持った人間には凡人には計り知れない二面性があるのだろうか。そもそも、凡人は夢破れても虎になることすらできまい。せいぜい犬猫だろう。


まあ、犬は嫌だが、猫にはなってみてもいいかな、と変なことを考えてみる。


それにしても、中島敦の享年が33と聞くとなんか複雑な気分だ。もう尾崎豊中島敦も抜いてしまった。凡人は凡人なりに世間と合わせて生きることを覚えるしかないのだろうか。




昔の成田闘争ネタが数多く収められている。もちろん、いしいひさいちだから学生運動自体をおちょくってるわけだが。


いぜん、単行本で出版されたやつからの再録が多い。


これを読んで、高校の友人から借りたバイトくん(単行本)を借りパクの状態になっているのを思い出してちょっと微妙な気分になった。


まだ付き合いはあるんだけど、数年に一回くらいしか会わないしなあ・・・・。