KJ-monasouken’s diary

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司馬史観は正しいのか


もちろん、小説を鵜呑みにする方がどうかしてるんだろうし、司馬遼太郎の小説は面白いから、それだけで価値はあると思っていますが、この人の場合は影響力が大きすぎるからなあ・・・

[05/12/11-12:03]
司馬史観は正しいのか(日本近代史)
http://s03.2log.net/home/mri/archives/blog253.html

1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/25(金) 18:38:07 ID:X15jlhM60
司馬史観は正しいのか
語ってください


4 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/25(金) 23:11:49 id:Qrg9zJwE0
高知県人の俺から見れば、
「土佐では関が原が300年続いた」とか、
「土佐郷士は長香宗部の一領具足の末裔」とか、
ありていに言って、土佐郷土史を少しかじった程度でも見抜ける
でたらめが多いと思う。

ただ、「竜馬が行く」「功名が辻」などのおかげで観光に役立っているから、
おおっぴらに批判する人はいないけどね。(w


5 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/25(金) 23:17:29 ID:DtvtD0a50
竜馬が逝くはともかく、巧妙が辻は観光には役立たないのでは・・・。


7 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/25(金) 23:23:26 id:Qrg9zJwE0
>>5
いやいや、それが橋本大二郎知事の肝いりで
NHKなどとタイアップして「土佐二十四万石博」という
ばかげた催し物をやる予定があるんだよ。


12 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/25(金) 23:50:38 ID:9gdXTRAn0
巧妙に史実も嘘もまぜて語られるから、嘘を史実だと誤認識しやすい。
さらに人物、藩などに対して贔屓などもあるので(早乙女などと比べると比較的公平
とはいえ)、正しい史観というと、おおいに語弊がある。
このように歴史初心者には危険な書であるにも関わらず、その読みやすさなどから、
初心者にほど勧められる傾向があり、今日も今日とてちょっと間違った歴史観の普及に
いちやくかっている。

面白いのは面白いから、史実とは別もんとして読めれば問題はないが。


13 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/25(金) 23:57:25 ID:8fDRZyXw0
まぁ、歴史に興味を持つ機会を提供してるって
事で・・。


14 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/26(土) 00:00:18 id:zGNd7Wm80
司馬は小説家、史観もヘッタクレも無い。


15 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 00:07:04 id:ZqIBnYUoO
坂の上の雲と歴史と視点で駒を使った兵棋演習の発祥はアメリカ海軍って書いてあるけど…んなの嘘でヨーロッパではそれより前からやってます>兵棋演習。


16 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 00:18:03 ID:5f56vx+40
坂本竜馬は幕末維新の最重要人物であり、彼が歴史を大きく変えた、とか。
司馬のせいで世間様はそのように信じてます。


17 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/26(土) 00:18:34 id:gfOHOw5hO
小説家が創作したからって一々批判してどーする
読む側の問題と思われ


18 名前:4=7=10 投稿日:2005/11/26(土) 00:27:04 id:BKcWJy/k0
>>12-13
たしかに「小説として面白ければそれでよい」というのも一つの考え方だろう。
しかし、あのでたらめ小説を「史実」として受け止めている連中の多いこと多いこと。
しかも、そういうでたらめを知ってか知らずかもてはやす政治家、経済人、自称文化人の胡散臭いことと言ったら!
ああいう取り巻き連中をたしなめもせずに増長させた司馬の罪は重い。
少なくとも、文筆家としての責任を果たしてないように思われる。

>>14
「史観」というと大げさかもしれない。
しかし、「歴史の見方考え方」と言い換えれば、
たとえ娯楽小説であったとしても、それなりの見識が必要だ。
たとえば吉村昭あたりと比べてみても、司馬の史観は不見識のそしりを免れん。


20 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 01:30:25 ID:5f56vx+40
江藤新平は小説(「歳月」)に書いてもらったが、ちっとも英雄にならなかった。
やはり描かれ方によるのだと思われます。
新撰組(中でも土方歳三)が人気物になったのは司馬の萌えよ剣おかげですね。


24 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 02:53:19 ID:7VuNmlQF0
まあ、あくまでも小説だから、それを史実とは言えないだろう。
司馬氏の小説で歴史(史実)をどうこう断じるのは「三国志演義」をソースに
史実の三国時代を研究したり論じたりするようなもの。

歴史に興味を持つきっかけ
とすればいい。


25 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 03:10:04 ID:IVmKmx/N0
>1
正しい部分もあれば間違いも有る。
司馬の本は分量があるので簡単に一言では語れない。


26 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 03:11:55 ID:Yn/A1k/j0
メッケルは、その講義でいう。「戦いは、出鼻で勝たねばならぬ」〜中略〜
「宣戦布告のあとで軍隊を動員するような愚はするな」〜中略〜「宣戦したときにもう敵を
叩いている、というふうにせよ」〜中略〜「宣戦と同時攻撃」というのは日本人の伝統的やりかたになり、
ついに世界中から 日本人のいつものあの手。という嘲罵をうけるようになった。
以上『坂の上の雲』より
次に本職の軍人の書いたメッツケル研究本より

ところで、メッケル戦術の特徴を奇襲開戦とみなして、それが日清戦争日露戦争
更には大東亜戦争にも活用されたとの説が、世間の一部にあるようだ。
もともと奇襲開戦は戦術の領域外のことで、戦争指導」ないしは高等政略に属する。
それに日露戦争大東亜戦争などの奇襲実施部隊は、陸軍部隊ではなかった筈である。
更に加えて、彼のお雇い教師時代の日本陸軍は、国土防衛作戦準備に汲々としており、
彼自身の陸大での戦術教育にしても、師団戦術の初歩を教えていたにすぎない。
そんなわけで、奇襲開戦を彼の戦術の特徴とみなす説は、いわゆる浮説と言わざるをえない。

以上 林三郎 『参謀教育 メッケルと日本陸軍』芙蓉書房 より 
林大佐は陸士37期陸大卒 参謀本部ロシア課 阿南陸相秘書官等を歴任
ちなみに本書は昭和陸軍の問題点にも言及しており、一部の参謀の独断専行ならぬ
『専断、越権』行為を厳しく批判している。


29 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/26(土) 04:18:59 id:lltIfmEN0
小説はよどうでもいいが
司馬は評論も書いてるからなぁ・・・確かにそっちは頂けないものもあるな
ま、それは歴史研究家だって同じだから、確かに読む側の問題だよな


30 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/26(土) 04:53:00 ID:ZqIBnYUoO
>>29司馬の小説、評論て内容は同程度じゃないか?特に「坂の上の雲」の場合は小説じゃないと自分で言ってるよ。


33 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/26(土) 10:57:05 ID:69k0BTu00
>>29
歴史小説であれば「史実は史実として、小説を面白くする為に行われている虚構」として
言い訳もたつが、評論やエッセイ、対談等であからさまに(それらが行われていた当時ですら否定されている事を)
そういう事を言っているのは確かに痛いよな。特に晩年は論評小説のようになっているし。
ただそういう連中は小説家や自称歴史家にゴマンといる訳で(俺らもなw)、
司馬の場合ただ単に影響力が巨大なのと、なぜか司馬の小説等を読んで歴史を知った気になっちゃう
人が多いだけの話かと。


34 名前:4=7=10 投稿日:2005/11/26(土) 14:19:36 id:utOKXgfI0
>>23
亀レスになってしまうが、
司馬遼太郎のおかげで土佐郷士についてはずいぶん誤解が多いので、
ここで概略を述べることにしたい。

土佐の郷士制度は土佐藩二代目藩主山内忠義のころに始まる。
制度発足の目的としては、
1.土佐国内の農地開拓、治水・治山事業の推進
2.農山漁村の村役人に登用することによる支配体制
3.豊臣家滅亡、島原の乱などに対応するための軍役増強=土佐の石高引き上げ
4.明末清初の東アジア国際関係の流動化に対応した幕藩体制の強化
などが挙げられる。

しかし、司馬は第一点目にしか着目されていない。
だから、領民支配体制を担っていた郷士たちの歴史的意義を見失っており、
そのため、村落の豪農・豪商でもあった彼らの政治・経済・社会的な意義を理解していない。

また、郷士制度発足直後に登用された者たちには長香宗部の維新が多かったのは事実。
ただ、司馬がそこだけに着目して、「土佐では関が原が300年続いた」とか、
「山内家は300年間占領軍だった」とか「長香宗部の怨念が明治維新につながった」と
短絡的に結論付けているのは致命的なミス。(以下続く)





35 名前:4=7=10 投稿日:2005/11/26(土) 14:32:14 ID:utOKXgfI0
>>34
×長香宗部の維新
○長宗香部の遺臣

さて、元禄から享保年間以降、土佐では「郷士株の売買」が藩によって公認されていた。
さらに宝暦・明和期の20数年間は農民だけでなく、商人も郷士株を買い受けることができた。
この宝暦・明和期に商人から郷士になったのがあの坂本龍馬の実家だ。

さらに幕末、天誅組の首領であった吉村虎太郎の場合は、
在郷の高利貸しで富を蓄積した父が郷士株を買って成り上がった郷士だ。

また、物理学者で文学者の寺田寅彦の父も郷士だが、
彼の場合は跡継ぎが無く絶家した寺田家の郷士株を譲り受けている。

このように土佐の郷士というのは、江戸中期以降は、経済的実力を持った豪商・豪農
家格を高めて支配層に成り上がったものだった。
司馬はこういうこともあまり勉強していないので、郷士について平面的にしか理解していない。
そのため、郷士が幕末維新から明治自由民権運動期に担った役割もきちんと理解していない。


41 名前:4=7=10 投稿日:2005/11/26(土) 20:51:31 ID:7ucrbNd40
>>37
土佐藩士は大別して上士と下士に分けられます。
上士は家老、近習、馬廻役など5つに分かれる。
ちなみに自由民権運動の理論的指導者植木枝盛馬廻役の家柄で身分は高い。

下士は白札、郷士、徒歩、足軽、小者などで、このうち白札、郷士は騎馬が許される。
武市半平太は白札、坂本龍馬や吉村虎太郎らは郷士
ちなみに植木枝盛と並ぶあの中江兆民足軽
中岡慎太郎郷士ではなく名字帯刀を許された百姓身分だったと思うが、いま手元に資料がありません。

白札、郷士は武士なので年貢は課せられず、作り取りが認められていたはず。

なお、享保以降、上士と白札・郷士とが嫁取り婿取りをする事例は多々あった。
つまり、確固とした経済基盤の無い上士が経済力のある郷士と婚姻関係を結ぶことで、
前者は後者の経済援助を得ることができるし、後者は前者と結びつくことで家格が高まると言うわけ。

上士と郷士(白札含む)が断絶していたと決め付ける司馬の見解はまったくの誤り。(以下続く)


42 名前:4=7=10 投稿日:2005/11/26(土) 20:59:58 ID:7ucrbNd40
ただ、土佐藩の場合、幕府と違って柔軟な人材登用制度が無かったことに注意すべきです。

たしかに農民や町人は金を出せば郷士株を買えた。
そして能力を発揮すれば、ごくごくまれに上士にもなれた。
しかし、幕府のような足高制度や学問吟味・筆算吟味などによる人材登用制度が無かった。
そのため能力のある下士を抜擢することができず、藩政が停滞し、何回かの藩政改革も失敗。
そして化政期以降、無能な上士と不遇な下士の対立が生まれ、これが幕末期の不毛な政争につながります。


61 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/29(火) 02:29:34 ID:+xBXorro0
司馬はエッセイで、日本軍が中国で狼藉を働いたのを
一度もみていない、と断言している。
彼が、実際に経験した太平洋戦争というものを、
小説に起こさなかったのも、
彼の創造した「世界」と現実の「出来事、人間模様」が
そぐわないと知っていたからでは。


65 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/29(火) 17:22:26 ID:1ZZonI6Q0
>>61
あれは暗に日本軍の残虐行為が政治的意図によって増幅して伝えられている事を批判したのだと思う
かれに限らず多くの軍人はそういった物を見聞せずに帰国している
南京戦に参加した兵士ですら本気で「残虐行為はなかった」といってるケースは沢山ある
戦場は我々が考えるより淡々とした日常生活が続くらしい


66 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/11/29(火) 18:09:15 ID:bPOyayo10
連日の戦闘なんてごく一部の戦域を除けば存在しないからね。
それにしたって夜は結構のほほんとしていたものだし。
どうも俄か知識の人は現代戦のような見方で当時を考えるんだよね。
まあ戦闘だけではなく歴史自体を現代の常識からみる人が多くて困るけど。

>>64
とてもではないが福田氏は昭和の陸軍を全くの偏見から誤解していたようにしか見えない。
有名な「戦車をヤスリで〜」の話も単に対弾性の良い軟鉄に変えたことを戦後に調べもしていない。
当然、当時の感傷を述べる上での引用だろうがそれでも不適切な発言といわざるを得ない。


74 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/30(水) 11:29:03 id:PRBSKu5k0
司馬史観というのは単に近代史だけでなく日本史全般に広がってると思う
たとえば源頼朝源義経の確執は単に兄弟仲の問題ではなく、京育ちの義経が鎌倉の政治体制に無知で
放っておくと体制そのものを危うくするのであえて頼朝は義経を切った、というのは司馬が「義経」で提唱して
いまや常識になった見方ではないだろうか
またいまや常識となっている織田信長=天才という発想も司馬が広めたといっていい
戦前は信長の評価は秀吉・家康にくらべるとさほど高くなかった。比叡山焼き討ちなど乱暴者のイメージが強かった


75 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/30(水) 12:42:00 id:DFma2q+O0
マジレスすると、要するに回想録な訳ですわ>あのエッセイ
で、回想録というのは細かい描写等はアテにならんもんなんです。
特に戦争みたいなものすごい悲惨かつ本人の人生において重い事件ってのは、
往々にして記憶改竄や思い込み記憶等がありえる訳。

あのエッセイで大事なのは司馬が戦争というものをどういう風に捉えてるか、
を読み取るべきであって、例え彼の勘違いだったとしても、彼の戦争風景は
チハたんヤスリと参謀の話で完成されてた(少なくとも当時は)。
それを真に受けて史実だとして語る方がアホなんですよ。


85 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/30(水) 23:15:53 id:tr1Mr3Yg0
ただ、マルクス史観が“日本全面暗黒”史観だったのに対して、司馬史観は“開
明派=善(明治初期)・暗愚派=悪(昭和初期)”というだけのこと。


86 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/11/30(水) 23:16:00 id:PRBSKu5k0
>>83
司馬史観はむしろ朱子学史観にたいするアンチテーゼじゃないのか。
自分は司馬の愛読者だが朱子学に関してはこれでもか、と思うぐらい執拗に批判している。
マルクス史観に対しては一定の評価はしていたと思う。


90 名前:66 投稿日:2005/12/01(木) 01:17:26 ID:2zLjhEny0
司馬氏は昭和のことに関しては全く客観的に物事を見ることができていない。
それは氏の発言からも明らかだと思う。
最もいやいや戦争に参加した立場だからそれは致し方のないことだとも思う。
問題はいわゆる盲目的な信者がそれを全く疑わないことだろう。


91 名前:1[sage] 投稿日:2005/12/01(木) 01:29:50 id:D90onT+Y0
>>66
司馬の明治マンセー、昭和イクナイ!を真に受ける信者なんてほんとにいるのか?
司馬史観」はちょっと極端に過ぎる歴史観だな


93 名前:66 投稿日:2005/12/01(木) 01:40:36 ID:2zLjhEny0
私の父親なんてそうでしたよ・・・orz

要は少しでも史実を調べている人は司馬氏の虚構に気づくのですが
他ジャンルの本を読むことがメインの人はそれに気づかず、
司馬氏の小説を本当の歴史だと思い込む、と。
そしてそのような専門ではない人が世の中のマジョリティなので
司馬史観」が受け入れられている。
そのように私は考えております。

このことは当然他のことにも当て嵌まることですけどね。


94 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/12/01(木) 12:29:35 ID:+5eVcqeR0
五百旗頭さんなんか司馬の弟子みたいなもんだからな。
歴史家にも司馬の影響を受けた人は多いと思うよ。
加藤陽子なんか統帥権に関する解釈で司馬を批判してるけど、
逆に言うと無視しがたい存在ということになる。
司馬の存在は社会的影響力を持つ在野の歴史評論家といういちずけかな。


99 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/12/03(土) 08:33:25 ID:66Dq0Ck10
司馬史観って調べてみたよ。 ググったら沢山出てきた。

結局、独創的な史観があるかどうかという点では否定的な見解が多いが
ただ、マックスウェーバーの類似なんでしょ

その視点から、例えば朱子学に朝鮮衰退の原因を求めていると。

マックスウェーバー的であるという点で唯物史観(左翼系)とは相容れないし、
昭和の軍悪的な立場からは 自由主義史観(作る会系)とも重ならない部分が出てくる。
あと、年代を幅広く網羅しようとするから、どうも史実に粗漏があって、その点でも批判がある。

 それでもやはり2億冊以上を売り上げたという司馬さんの威力は絶大で、
司馬史観と呼ばれる言葉は流行っているのも確からしい。
つい最近の読売新聞でも、確か学者だったと思うが、この言葉を使ってるのを見かけた気がする。(うろ覚えだが)
(昭和を検証する、とかいうシリーズの面)
 だから、司馬史観の定義については、どこかの誰かが作ってるんじゃないかな、と予想することも可能。


103 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/12/03(土) 17:17:58 ID:6xvC50Ho0
一応司馬史観を定義づけるならば、リアリズム重視、という所か
明治時代→リアリズムを持ったいい時代
大正時代→リアリズムを失いつつあった浮華な時代
昭和時代→リアリズムを無視した悪い時代

大正時代にはあまり言及してないけど総じて否定的。民主主義や自由主義の進展にはあまり興味がないのね。


112 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/04(日) 06:16:28 id:Kht2ByhB0
>>103
昭和生まれで戦争でひどい目にあった世代のロマンスって感じがするのう。
司馬さんが明治生まれで日露戦争に従軍してたら、絶対リアリズムの時代だったなんて書かないだろうな。
なにせ日露戦争では予備師団まで含めて従軍者の半数以上が死傷してるんだから…。


115 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2005/12/04(日) 20:25:17 id:ItJWIR6O0
司馬史観も問題だけど、
司馬は明治を褒め、昭和を貶していた。
っていう単純な認識も良くない。
昭和に起こった諸問題は明治の世ですでに内包されていた、ってこの人はきちっと書いてるし。


116 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/04(日) 20:57:47 ID:Kht2ByhB0
でも司馬さんって明治はリアリズムの時代だったけど昭和はそうじゃなかったみたいな事言ってるじゃん。


119 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2005/12/04(日) 23:14:48 id:VL4unuTb0
>>115>>116
司馬は当初単純に昭和はダメで明治はよしと思っていただろうと思うよ。
しかし昭和の問題を明治が内包していることに晩年に気づいた。
自己矛盾に陥ったまま死んだ。
まさに史観がない。娯楽小説家だわよ。