KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し @@(軍事)

もうひとつ。

[05/10/22-21:09]
@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し @@(軍事)
http://s03.2log.net/home/mri/archives/blog236.html

1 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/03/29(火) 03:48:23 ID:0GQeuhqo
泣ける話とはちょっと違うが、第一次大戦中にドイツ軍とイギリス軍が
「クリスマス休戦」して、お互いの塹壕を訪問し合ったばかりか、誰かが
「サッカーしようぜ!」と言って本当にやってしまった話ならあるよ。
その時の写真には、ドイツ・イギリス両軍の将校が笑って写ってるものもある。

サッカーボールが鉄条網に突き刺さってしまい、試合の決着は
付かなかったそうだけど。
ただ、この出来事を聞いた司令官がカンカンになって怒り、
次の年の クリスマスからは、逆に砲撃頻度を上げたらしい。

関連スレッド:
戦時中・戦場での泣ける話
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1104558911/


174 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 14:39:15 id:TDrqRQKh
うちの爺ちゃんは沖縄で戦って捕虜になったんだが・・・・。
つかまった時は2日くらいなにも食わずに隠れてた状態だったらしく腹ペコだったらしい。
臨時の捕虜収容所につれていかれる途中に若い米兵が腹が減っているのに気がついたらしくコンビーフの缶詰をくれたらしい。
もちろん補給劣悪、肉なんてなかなか・・・。という状態だった爺ちゃんはコンビーフのあまりの旨さに卒倒しそうになったそーな。

これだけだったらよくある話なんだが・・・・。
続く


175 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 14:49:32 ID:TDrqRQKh
爺ちゃんは料理人だったんだわ。かなりの腕の。沖縄戦が終わって捕虜がたくさん集まるようになると、米兵さんがあまっているコンビーフとかパンとかをたまに供給とは別に投げ入れてくれるよーになったそーな(さすが持てる国は違いますな)
んで、どこから見つけてきたかは不明だけれど米俵を運んできてくれたりもしたそーな。ただ生米なんてくえないので、飯ごう返してといったらなんでかフライパンをつけて返してくれたそーです。(アメリカ人は米を料理するのにフライパンが必要だとでも思ったのか?)
それで油と米とコンビーフや、他の米軍の食材がそろったので、爺ちゃんは当然、料理を始めたらしい。
まぁ、コンビーフ入りのチャーハンを作ったらしいです。これが捕虜達の間では好評でかなり感謝されたらしいんですが、こっからが米軍の本領発揮でした・・・。


177 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 14:58:04 id:TDrqRQKh
日本の収容所の一つからおいしそうな匂いがただよってくるのを感じ取った見張りの米兵さんが、米を炒めた妙な料理(当時米国でも中華料理店はあったんでしょうがいまよりはずっと少ない。チャーハンをみたことない米兵も多かったのでしょう。)
を見てね我慢できなくなったか、身振りで「ちょっと食わせろや」みたいなことをしたので、機嫌をそこねたら大変だと思った爺ちゃんはいそいで作ってもっていったそうです。
一口食べた米兵は驚いた顔をして、サンキューといったあと交代時間にどうやらおいしかったことを仲間に伝えたようなのです。
次の日、さらに米をもって米兵達がやってきて通訳までつれて「もっと作ってくれ。」と言われたそうです。
初めは小隊できていた米兵さんが中隊になり大隊にまでなり、どんどん食材をもってきてチャーハンや他の中華料理を作らせれたそうで、かなり偉い少佐さんまで食べにきたそうです・・・。
どうやら軍隊の飯はまずいらしく爺ちゃんの中華料理が気に入ったようでした。

のちに爺ちゃんは本土に帰って食堂を続けたそうですが、その時に仲良くなった何人かの米兵さんはまた来てくれたらしいです。
爺ちゃんはその時の経験から米兵を決して悪くはいいませんな。ほのぼのしすぎっていうか、捕虜のとこまで飯くいにくるなよ米兵・・・。


178 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/07/21(木) 15:25:30 ID:???
>>177
コリン・パウエル閣下も「始めは慣れなかったけれど、今では時々食べないと調子が出ないよ」と漏らしているそうです。
また、炊いたお米のようにモチモチしたものよりパサパサのお米のほうが米国の人には食べやすいようです。
・・・ハワイので売ってるおにぎりを一度食べるとよくわかるかも。食感はチャーハンをおにぎりにした感じです


179 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 15:36:28 ID:TDrqRQKh
パウエル閣下もお米ファンか!!!!


180 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 17:18:07 id:nFHoyIqZ
>>177
爺ちゃんエライ!沖縄戦は、食文化で圧勝だね。
それにしても、気のいい米兵達にも敬意。
旨い飯を愉しめる平和が一番。


181 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/07/21(木) 17:42:29 ID:TDrqRQKh
>>177ですが。
爺ちゃんはつかまった時絶対殺されると思っていたようで米兵がコンビーフをくれた時は信じられなかったそうです。
爺ちゃんは間違いなく米兵を何人かは殺したのに、扱いがそれなりに丁寧だったことには驚いたそうですが。
米兵は持てる者の余裕とはいえ、冗談を楽しんだり、物をくれたり、明るいエピソードが多いですな。

ちなみに最後のほうは毎日30人くらいやってきたので、捕虜の人達と協力してほとんど屋台状態だったらしいです。
・・・・。米兵の飯はそんなに不味いのか・・・。
ご飯作ったお礼にアイスクリームを持ってきてもらったり、タバコをもらったり、結構気楽だったようです。


194 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/08/02(火) 20:33:25 ID:???
中国大陸で従軍してたある将校、敵情視察で森の中を歩いてたら
大蛇が出てきたが、音をだすわけにも行かず軍刀でズンバラリン
視察を終えて陣地に戻り、「いやーデカイ蛇がいてさぁ・・・」と部下達に話すと
部下は大喜びで蛇を回収しに行っちゃった。
「蛇なんてどうすんの?」「うちらの故郷じゃ蛇はご馳走なんですよ、懐かしいなぁ」
「・・・本当かよ」

という事でその夜のメインとして蛇登場
「ささ、隊長からまずどうぞ」と蛇料理の入った飯ごうを差し出され
こうなっては食べぬわけにも行かず、恐る恐るモグモグ・・・
「隊長の故郷の名物のドジョウは汚い泥の中に居ますが
蛇は朝露で身を洗うきれい好きなんです。絶対こっちの方がいいです」
「そんなもんかねぇ〜」モグモグ「あ、御代わりいかがですか?」
「うん、もっともらおうか」「本当にいいですか?(・∀・)ニヤニヤ」
「え?」「うまいでしょう?(・∀・)ニヤニヤ」
「・・・あ、忘れてた」次の瞬間みんな大爆笑。楽しい晩餐となったという。



209 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/09/30(金) 20:42:29 ID:???
・・その時、舟艇の米兵が、坂本兵長の水筒を指さし、よこせと手まねで言いました。
炎天下に立っていたので水筒はさわると熱いほどになっています。
「どうせこの水も飲めまい、記念にほしいのならくれてやろう」
水筒を渡すと米兵は船内に姿を消し、しばらくすると戻ってきて、
さっきの水筒を返してくれました。さわってみると、冷たい、こおりつくような水が
いっぱいに入っています。おどろいた坂本兵長が感謝をこめた眼でだまって頭を下げると、
米兵はニコッと笑って船室に入って行きました。 きのうまでの敵だった、
米兵の何気ない好意に感激して、坂本兵長はその水をぐっと飲みました。
うまい水でした。雨水でない、本物の水でした。このことは、坂本兵長の、生涯忘れられないひとコマになりました。
そして島はどんどん遠ざかり、視界から消えていきました。


210 名前:名無し三等兵[???] 投稿日:2005/10/02(日) 17:18:35 ID:???
>>209
詳細願います。


211 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/04(火) 19:45:22 ID:???
>>210
すみませんコピペでした・・・。
ttp://www.dd.iij4u.or.jp/~pagan/KOBOREBANASI/pagan7.htm


226 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/16(日) 00:50:55 id:e9Y0xLOF
日本陸軍の某捕虜収容所での話。
米軍捕虜は捕虜になる前の階級に従って分隊、小隊、中隊に分けられ、
分隊には分隊指揮官の軍曹が任命されていたのだが、
あるとき、捕虜監視に当たっていた日本陸軍の軍曹に、米陸軍軍曹が話をつけに来た。
「煙草はないか?いや、俺が吸うんじゃない、部下が欲しがっているんだ」。

捕虜に余分な物を与えることは禁止されていたのみならず、
捕虜が処遇に物申せば反抗とみなしてその場で銃殺も許可されていたのだが、
お互い「軍曹」、部下を可愛がる気持ちは痛いほどわかる。
日本陸軍の軍曹、その場では申し出を一蹴したのだが、
その夜、米陸軍軍曹を呼びつけ、ひそかに「誉」を渡した。

やがて捕虜収容所が移転することになり、捕虜も移送されることになった。
だらしなく歩く他の捕虜。
しかし「カシラーナカ、ホッチョートレー!」
聞きかじった日本軍式の号令に合わせ、一糸乱れぬ分隊整列で行進する捕虜1個分隊があり、
その先頭をゆくのはくだんの軍曹。
「xx軍曹どのに対し、敬礼!」

米兵分隊からの、捕虜の身でできる精一杯のお礼に対し、
日本陸軍の某軍曹、同じく精一杯の敬礼で応えたという。



227 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/16(日) 21:58:35 ID:8i6DKSKm
いい話だ…。感動したよ。


228 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/16(日) 23:04:25 id:JTtsYCcl
田宮模型の取材チームが、スミソニアン航空博物館を訪問した時の話。
「日本からの取材か、ちょうどよかった。
今、日本軍機のレストアをやっているんだが、外板の裏に日本語が書いてあるんだ。
日本軍のマニュアルにもない言葉なんだが、ちょっと読んでみてくれないか?」

早速、田宮模型の取材チームが読んでみたところ、
「八重ちゃん、愛している。オレ、やける」。

航空機工場の若い工員か勤労奉仕の学生が、
同じく勤労奉仕で航空機工場に来ていた、女子挺身隊のひとりを見初めたのだろう。
しかし、戦時中の航空機工場で、思いのたけを告げるわけにもいかず、
それでもあふれんばかりの思いを、誰の目にも触れないところに、思わず書き付けたにちがいない。

書いた主や「八重ちゃん」が誰なのか、今となっては確かめる術はないが、
本土空襲、とりわけ航空機工場空襲をも生き抜き、幸せになっていて欲しいと、
田宮模型の取材チームは思ったという。


240 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/17(月) 13:07:06 ID:9ZecT0b+
関西のベテラン漫才師のいとしこいし師匠(お兄さんはお亡くなりになったが)の弟さんがテレビで語っていたのだが。戦時中この方は重機関銃中隊で重機を扱っていたらしいのだがその時のエピソード
「米軍機から機銃掃射を浴びたのだが、その短い時間の間でこの小さい鉄帽にどうやったら体全体を隠せるか真剣に考えた」
本人は真剣だったのだろうが激しくワロタw「迎撃といっても正面から撃つのは怖いから通り過ぎてから後ろから撃つのが常だった」とも語っていた。
広島で被爆し軍服がボロボロになったので死体からはぎとって着たとも語っていた


241 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/17(月) 16:39:48 ID:???
ある日、真珠湾の海軍基地の一室で、当時海軍長官だったフォレスタルが
演説の草稿をタイプしていると、一人の若い少尉が入ってきた。

「お前がタイプライターの修理にやってきた間抜けか。お前がいじってるのは
 故障した奴じゃないぜ」
「申し訳ないが、私は修理屋ではないんだ」
「じゃあ、一体お前は何者なんだ」
「フォレスタル海軍長官だ」

この気の毒な少尉は、軍法会議にかけられると思い込み、壁際に倒れ込んだという。


242 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/10/17(月) 22:14:36 ID:???
>>231
イケメン工員や、地位に物言わす軍人と「八重ちゃん」が仲良くしているのを見て、
外板リベット「連射男」がジェラシーにさいなまれ「やけるぜ、バーロー!」だったのでは?

高橋孟「海軍めしたき総決算」にある話だが、
主計科の兵員、モテようと思ってギンバエしてきた砂糖を水筒に詰め、航空隊から持ち出しても、
やはりモテるのは航空機搭乗員で、主計科は贈り物の効果も空しく、指をくわえて見ているしかなかったとか。


251 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/20(木) 21:20:24 id:z5WqdUuO
・・・河野守宏という人の本に書いてあった、戦時厨房の危険なお遊び。

米軍戦闘機空襲!

防空壕の土盛りの上で、仁王立ちになって手拭いを頭上で振り回し、
「オーイ、こっちこっち」
と、敵機を挑発。

それを見て、アメちゃん早速ダイブ。

敵機がバリバリと機銃掃射してくるのをギリギリまで踏みこらえ、間一髪のところで防空壕の入り口に頭から飛込んで弾を避ける。


敵機が頭上を飛び去ると、防空壕から再び這い出して小躍りしながら、
「ヤーイ、外れだぞ、この下手糞が!」

・・・これを繰り返して、一番近くまで敵を引き寄せた奴が、仲間内で英雄認定されたという。。。

この下の方のスレを紹介したとき、「確かに戦争にはこういう一面もありますが・・・・戦争そのものが間違っているのではないですか?」というようなコメントをいただき、ちょっと戸惑ったことがあります。


もちろん、私は戦争は悪だと考えていますけど、未だに地球上から戦争がなくなっていない以上、戦争について全く考えないというのも・・・?と言う気がしています。もちろん、上記のコメントの意図はよくわかるし、おっしゃる通りとは思いますが・・・。


戦争を回避し、少なくとも被害を最小限にするために、戦争に関する知識を残すことは意味があるのではないかと思うのですがね(あまり、イデオロギー的な良い悪いの議論は好きじゃないですけど)。