KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

宮本顕治死去(共産党)


京都は共産党が強い伝統があって、実家にも共産党のビラがよく入っていた。それ読んでると、「自民党の政治家はなんて悪い奴らなんだ!」と思ってしまうので注意。子供にも分かりやすいんだよな。内容はともかく。


うちの大学でもよくヘルメット被ったお兄さんたちが演説してたけど、当然のごとくほとんど誰も聞いてませんでした。(まだやってるという話も聞いた)ああいうのもサークル活動みたいなもんなのか?日本共産党の政治家は駅前でもよく演説してたので「うるせえなあ・・・」と思ってたけど、考えてみたら牛歩戦術とかよりはまっとうなやり方と言えなくもない。

5 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 15:49:24
訃報:日本共産党元名誉議長の宮本顕治氏死去、98歳 
 日本共産党元名誉議長の宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が18日午後2時33分、老衰のため、死去した。98歳。自宅は東京都多摩市連光寺1の31の28。

 1958年に書記長に就任し党の実権を掌握。(1)国会で多数派を形成し政権を目指す平和革命(2)外国の共産党の影響を受けない
自主独立路線−−に代表される「宮本路線」(綱領路線)を推し進め、現在の共産党の基礎を築いた。
1997年を境に党の活動の一線から退いた。現在、党の指揮を取る「不破哲三議長−志位和夫委員長」の体制は
綱領見直しなど柔軟路線を進める一方で宮本氏が敷いた基本路線の維持も表明している。
戦前、戦後を通して日本の左翼運動の一翼を担ったカリスマだった。

毎日新聞 2007年7月18日 15時38分




6 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 15:55:47
大往生だな


8 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 16:01:06
ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070718it11.htm
共産党元議長の宮本顕治氏が死去

共産党の委員長や議長などを務めた宮本顕治(みやもと・けんじ)氏が
18日午後2時33分、都内の病院で老衰のため、死去した。98歳だった。

告別式などは未定。

宮本氏はこの数年間、公の場には姿を見せず、
東京都渋谷区の東京勤労者医療会代々木病院に入院するなどしていた。
共産党を39年にわたって指導した宮本氏の死去は、共産党の一つの時代の終わりを印象づけた。

宮本氏は山口県出身。戦前から共産党員として活動した。
1933年、治安維持法違反などで検挙され、終戦まで12年間、獄中にあり、転向を拒否し続けた。

50年代前半、同党は路線をめぐって分裂し、極左冒険主義に走る中で宮本氏は非主流派だった。
だが、55年に宮本氏は党執行部に復帰、58年に書記長、70年に委員長、82年に議長と要職を歴任した。
以降、97年に議長を辞任するまで党を指導し続けた。国会議員としては、77年に参院全国区で初当選し、連続2期務めた。

(2007年7月18日15時51分 読売新聞)


9 名前:北京原人 投稿日:2007/07/18(水) 16:49:04

ある意味、
日本共産党躍進のためのチャンスだな。

過去の「歴史」を総括できればの話だが----



14 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 17:00:27
まあ今の共産党はミヤケン時代と比べると見るかげもないからな。
いまや第二社民党だし。


24 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 17:36:49
こうした大物、豪放磊落な傑人は、今や右も左もなく
生まれてこないんだろうな。
口先だけの総理、小物、疑惑、軽薄な「大臣」ばかり
ある意味100年に一人の人物だった 合掌


25 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 17:44:53
>>24
比較するなら今の代々木幹部だろ。


26 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 17:47:31
>>24
まあ、たしかに或る意味、大物だよなあ。
実行力があり過ぎて、勢い余ってリンチ殺人やっちゃうような人だし。


29 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 18:05:03
>>12
そうだな。

       證    明    書

本籍 山口縣光市大字島田第○○○○番ノ○號
                      宮     本     顕     治
                         明治四拾壱年拾月弐拾日生

昭和壱十九年十二月五日
東京都刑事地方裁判所判決
治安維持法違反、不法監禁致傷、不法監禁致死、不法監禁、不法監禁、
傷害致死死体遺棄
銃砲火薬類取締法施行規則違反
懲役二十年
無期懲役言渡しのところ昭和二十年勅令第五百八拾號減刑令に
依り懲役二十年に●更せらる

右者に對する頭書の刑は昭和二十年十二月二十九日公布勅令第七百
三十號に依り人の資格に●する法令の適用に付いては将来に向けて其の
刑の言い渡しを受けざりしものと見做すとの同令第一條に則資格を回
復したることを證明す

    昭和二十二年五月二十九日

             東京地方検察●検事正 木  内  曾  ●
●印は判読不能  ○印はあえて伏せ字にした。
この人の罪歴、現在風に言うとテロリストになるじゃん。復権できたことが不思議だよ。
出典    http://www.jcp.or.jp/jcp/78th_koen/fuwa_78th_honbun.html

外道には変わりないがなwww


38 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 18:32:39
>>29
思想犯としては赦免だが
殺人犯としては……


48 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 19:06:23
正直好きな政治家じゃなかったけど、ご冥福をお祈り致します。
良い悪いは別にして共産党をつくった人。
この人が亡くなった事で共産党は要を失ったような気がする。
さて明日の赤旗はミヤケンの死をどう取り上げるか。


51 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 19:20:35
ミヤケンは毛沢東に喧嘩を売ったが、不和恣意は、毛沢東より
はるかに小物のジョンイルにすら喧嘩を売れない。ジョンイル
以下の小物という事か。


55 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 19:39:16
 
参議院選期間中に死ぬというのはさすがだなという気がする‥

共産党に影響は殆どないだろうけどね。


75 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 21:58:01
今頃、地獄の業火で焼かれてるんだろうな。
地獄なんてものがあればの話だが。
ミヤケンが昔殺した奴とも地獄で再開してるだろ。


83 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/18(水) 23:25:12
宮本顕治 1908-2007:享年98
トウ小平 1904-1997:享年93
スターリン 1879-1953:享年74
毛沢東 1893-1976:享年82
金日成 1912-1994:享年82
チトー 1892-1980:享年88
カストロ 1925-20XX:享年82以上

どいつもこいつもなんでこんな長生きなんだ!?
一方、革命途上で死んだ渡辺政之輔とかは幾つで死んだと思ってんだよ


95 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 23:53:46
自民党のお偉方は、コゾって短命だな。



97 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 23:57:06
>>95
宮本は獄中で粗食を貫いたからな。
動物の寿命は、一般的に摂取カロリーと反比例すると言われてる。
ただし栄養失調にならない範囲で。


98 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/18(水) 23:58:59
不破先生はミヤケンと対立してたからなあ…
不破先生が委員長だったら大々的にミヤケン批判しそうだけど、ミヤケンに可愛がられたシイボンが委員長の今はどうなるんだろう。
今日テレビみたけど何かシイボン覇気がないというか、何かに怯えているように感じられたのだが???気のせいかな。


100 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 00:05:29
>>98
明らかにミヤケンの追悼選挙になるからプレッシャー感じているんでしょ。


121 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 01:08:45
>>100
戦前の共産党首脳部は、パクられて長期刑を食らうとあっけなく転向したり、
転向せぬまでも引退表明して改悛をアピールすることで仮釈放してもらったりと、
命がけで革命を目指してたわりにはヘタレばっかりだった。
GHQ指令で釈放されるまで完全非転向を貫き通したのは、宮顕を含む数名だけ。
まぁ本当に非転向だったのかどうか疑う説もあるんだが、いちおう公式の党史では
非転向を貫いた英雄ってことになってるんで、戦後に党が再建されてからは
どの党員も宮本に頭が上がらなかったらしいw


それだけに宮本の死は、古参党員にとって万感胸に迫るものがあろう。
党旗で包んだ棺を先頭に、弔い選挙ムードを盛り上げていきたいところだろうが、そんなことしたら
若い有権者がドン引きしちゃうからなぁ、つらいところだw


124 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 01:14:19
どうせ敗北必死なんだから
>>121 の方式でいいじゃん。古参党員だけでも慰めになるし。
今回を逃したらもうチャンスはないんだぞ。


129 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 01:34:40
>パクられて長期刑を食らうとあっけなく転向したり、
赤尾敏がそれだった。


136 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 02:06:43
>>129
その点で赤尾は宮本を褒めていた。


139 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 02:15:08
ttp://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070718ig91.htm
宮本元議長 共産党を支えたカリスマの死(7月19日付・読売社説)

共産党宮本顕治・元中央委議長が死去した。98歳。
1997年に議長を辞任するまで、40年近くにわたり、党の最高指導者として君臨していた。

宮本氏は、東京大学在学中の29年、雑誌「改造」の懸賞論文で第1席を獲得、さっそうと文壇に登場した。
第2席が、後に日本を代表する評論家となった小林秀雄だった。

31年入党、33年には中央委員として最高指導部入りした。
しかし、同年末には逮捕され、いわゆるスパイ査問死事件などで、無期懲役の判決を受けた。

戦後、釈放されて、党中枢での活動を再開、58年に書記長となり、
以来、民主集中制というマルクス・レーニン主義政党特有の鉄の規律の下に、最高指導者の地位を維持した。

「宮本共産党」には、この間、60年代末から70年代初めにかけて、大きな路線転換があった。

68年には、まだ、「プロレタリアート独裁」の堅持を強調、言論・出版・集会・結社の自由などを「ブルジョア民主主義」と攻撃していた。
複数政党制を容認する、と言い始めたのは、69年ごろからである。やがて、プロレタリアート独裁の用語も廃止した。

しかし、党勢は一進一退のまま、90年代初めには、東欧・ソ連社会主義体制の崩壊に伴い、
科学的社会主義」なるものの“威信”が世界規模で失われる苦境に陥った。

ソ連共産党の解体に際し、「もろ手を挙げて歓迎」と言って見せた宮本氏も、
実は、社会主義ソ連の末路を目撃したくはなかったのではないだろうか。


140 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 02:16:17
>>139

宮本氏が党綱領の基本を策定した当時、「ソ連を先頭とする社会主義陣営」は、
レーニンの精神を創造的に適用したものとして、大きな普遍的意義を持っている」はずだったのだから。

60年代からソ連との関係がギクシャクし始めたとはいえ、80年代半ばまでは
ソ連の指導者を「同志」と呼んだり、「レーニンに次ぐ平和の戦士」とたたえたりしていた。

そのソ連を、宮本氏が「歴史的巨悪」と位置づけることになったのは、歴史の皮肉と言うほかない。

ただ、こうした世界史的な激変にもかかわらず、日本の共産党が統一を維持できたのは、
宮本氏のカリスマ性があってこそ、との見方も少なくない。

共産党はその後、党規約から「前衛」という言葉を削除するなど、さらなる転換を図り、綱領も改定した。

しかし、党勢は、低迷から脱しきれず、後継指導部の苦闘が続いている。

(2007年7月19日1時37分 読売新聞)


170 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 13:15:59
俺みたいな温い若者は

大正か明治かってくらいの昔に生まれて
ある種、戦前の共産党や考案の活動については生き字引みたいな人だったろうし
まさしく激動の人生を送ったわけで
晩年は穏やかに暮らせたんだろうか、死去って大きな出来事だなぁ

なんて他人事に思うけれど

たぶん60歳↑の人に感想を聞いたら
いわゆるアカの象徴だったりとか良くも悪くも過激な反応が帰ってくるのかもしらんね


180 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 16:11:01
以前極左路線を走った活動家は、運動継続にあたって現実・穏健路線に転換するパターンがある。
宮顕はその典型。
日本労働党中核派他にしろ、そういった歴史の繰り返しに過ぎない。


189 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 18:31:22
今日の赤旗読んだ。
小さな扱いではなかったし不破や志位や元朝日新聞の記者らのコメントも掲載されてた。
が、まがりなりにも共産党を支え続けた人だから、ダイアナやレーガンが死んだ時の産経新聞みたいに大々的に特集をくむのかと自分は思ってた。
それだけに少し寂しい気がした。
社説もミヤケンの事は書いてなかった。明日以降にかかれるのかな?
ミヤケンの敬称に宮本氏と氏をつけていた所も少し気になった。
なぜなら氏という言葉は普段、共産党にとってあまり好ましくない人間に使う言葉だから。
まあ身内に「さん」づけする必要はないのだが。
「氏」がダメとは言わないが、宮本元議長とか宮本元委員長という言い方もありだとおもうんだけど…と赤旗を読んで、ふと思った。


192 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 19:56:02
昔、国政選挙の投票日前日。

立すいの余地もないほどの人ゴミの中、
池袋駅前でミヤケンが演説してたら
日本橋から愛国党の赤尾敏街宣車で乗り付けて大音量で演説を妨害。

ミヤケンは話をやめずに演説を続けていた。

しかし途中から
「このような者たちが、自民の悪政に手を貸しているのです!」と訴え周囲は大歓声。

面白そうだったので、あえて赤尾の街宣車の近くに行ってみると
共産党と思われる若い連中が押し寄せて「帰れ!帰れ!」コール。

これに対して赤尾は、街宣車の上から手に持っていたステッキを
若い連中に振り回しながら
「この共産党のチンピラどもが!恥を知れ!」とカツ。

1980年ころのお話。
なんか面白かったな。


196 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 20:37:34
>>192
小選挙区制になったから、選挙も候補者もどんどんつまんなくなっていくぞ。


206 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 22:33:42
少なくとも非武装中立論より正論だと思いましたが何か?


208 名前:革命的名無しさん 投稿日:2007/07/19(木) 22:36:28
>>189
出勤途中に赤旗の一部売りを買ってみたよ。

一面トップは志位委員長の被災者見舞いの報、ミヤケン死去は1面肩記事。写真は5、6年前くらいのかな?

避難者を見舞う志位委員長の後ろに、新潟日報を広げて顔を隠してるオッサンがいる。
よほど一緒に写されたくなかったんだろうw

扱いは確かに地味だね。「主張」でも扱ってない。
天皇崩御」の翼賛報道を批判した立場上、大特集はできないだろう。

昭和天皇崩御のとき、「ミヤケンが死んだら赤旗は『崩御』と書くのかな?」なんて、
大学の友人と冗談を言い合ってた。まだミヤケンに実権があった頃が懐かしい。

あれから約19年かぁ。
それにしても共産党、変わらないな。まぁ人のことは言えないがw

最近、後藤田とか宮沢とか昭和の大政治家の訃報が続いてるよね。
こればかりは順番だからしょうがないけど、人事面での「戦後の総決算」が続くのは正直さびしい。

そしてまたひとり、昭和の生き証人がいなくなった。


220 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/19(木) 23:58:40
中曽根元総理や浜田元代議士は敵ながら天晴れだな。
参詣は、論評抜きで死去の事実だけ伝えればよかったと思う。


221 名前:革命的名無しさん[sage] 投稿日:2007/07/20(金) 00:11:06
ってか中曽根はいつまで経っても元気だな・・・
あんた宮沢さんよりも年上じゃなかったか?

基本的に政治家って長生きですよね。大体、世間一般では「老人」とされる年代がむしろ働き盛りですし。


 まあ、考え方にはあんまり賛同できないのだが、もしかしたら今回日本共産党議席を伸ばす可能性もあると思っている。自民も民主もなんだかなあ・・・ってのがあるし。民主なら連立組んで政権与党になる可能性(というか、リスク。残念ながら現状自民党以外は基本的に政権担当能力はないと思っている)もあるけど、共産党は多分そんな心配ないし。政権に付いて欲しくないが、野党としては民主党みたいにフラフラしてないし社民党よりはロジカルに思えるしまだマシな党のように思える。


やはり野に置け共産党。(ずっと野だけど)