KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

10歳以前に考えていた不思議な観念・事象(哲学)

ややオカルティックなスレ。でも、いくつかは私も同じような感覚を持ってたような気がする。


10歳以前に考えていた不思議な観念・事象
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1146676500/

1 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/05/04(木) 02:15:00
幼稚園・保育園生や小学生の頃、不思議な空想にひたったことはありませんか?
また、現実ではありえない事件を見た・経験したことは?

たとえば空想だと
・自分以外の人間はみんなロボットで、意識や思考は自分だけに与えられた特権である。
・世界なんて存在しない。自分が移動するたび、その「場所」が作られる。
・女の子がリカちゃん人形で遊んでいるように、自分達も誰かの手によって動かされている。
・両親は異星人。夜になると真実の姿を現す。
・動物はみんな話すことができて、自分以外のみんなは何を言っているか理解している。

経験では
・記憶の中で楽しい思い出になっているはずの場所が、どこを探しても見つからない。
・二メートルのカマキリを見たことがある。
・兄弟・姉妹間で、声を出さずに会話できた。
など。

経験はオカルトの領域だろう、と思われるかもしれませんが
哲学の観点から考えてみたいと思い付け足しました。
どんな小さなことでも構わないので教えて下さい。


5 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/05/04(木) 04:00:34
小学生の時、公園で野菜のクズが大量に入った段ボール箱を見つけた。
その段ボールは上部が開いていて、中が丸見えだったんだけど
一緒にいた友人が
「この段ボールの蓋を閉じて、持って帰ってお母さんに見せたら
お母さんは蓋を開けるまで段ボールの中身を知らない。
だからお母さんから見ると、この箱に入った野菜のクズはこの世にないことになる。
かわりに宝石が入ってるかもしれないし、拳銃が入ってるかもしれない。空っぽかもしれない」
と言い出した。
思い出すと今でも混乱する。


11 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/05/04(木) 12:42:29
経験で。

最近、木村カエラ
「親指が凄く大きくなって、部屋中が親指になるような感覚なんですよ。ありませんかー?」
って発言して奇行・とんでも扱いされたり薬物使用疑惑かけられたりしてるけど、
俺は夜布団に横になると身体全体が膨張して部屋中に充満する感覚によくなった。
なった、というか今でも思い出してたまにやってるが。

実際の俺はガリガリの体形なんでこの感覚は楽しい。


16 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/06/08(木) 12:08:31
鏡を見たとき、向こう側が本当の世界かも知れないと思った事がある。


あと、ありきたりだけど全部夢じゃないか、とか。


26 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/10(土) 09:28:23
>>5の友人は量子論


27 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/11(日) 05:08:38
>>1には、思い当たることがいくつかある。
・俺は小学校中学年ぐらいまで、こんなことをふと考えることがあった。
俺は地球で生き残った最後の地球人。他の地球人は皆滅びてしまったが、俺を観察するため、俺の前では、地球人の格好をしている。
俺がいなくなると、タコのような宇宙人に戻る、と。俺が曲がり角を曲がると、道にいた宇宙人が、仲間の宇宙人に「今、そちらに行ったぞ」と連絡をとる。で、俺が来る前に人間の姿をする。
俺は、タコの姿を見てやろうと、曲がり角を曲がった後、また角まで戻って、来た道を覗いたりしていた。
こんなことがまったく信じられなくなったのは、小学校高学年の頃だった。


29 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/06/30(金) 11:18:45
>>23
漏れも余裕で息止められたな。
息しなくてもたいした事なくね?とか思ってた。今じゃ全然無理だが。



あと、部屋の床に仰向けで寝転がって天井をずっと見てると、
自分が天井に張り付いているような感覚になって、
そのまま意識だけが天井を普通の床のように歩いているような感覚になる、ってのがあった。

よく寝転がって目開けたまんまボーっとしてたから、
意識がなくなってない?この子、みたいに思われてたらしい。


35 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/07/13(木) 08:52:24
幼稚園のころ、布団に入るとドッドッドッって音が聞こえてきてゴジラの足音みたいで怖かった。
たぶん心臓の鼓動と当時読んだ怪獣の本の恐ろしさがミックスされたのかな。

小学校を卒業する頃かなりナイーブになっていて、死ぬってどういうことなんだろう? 死んだらどうなるんだろう?
死んだらずっと死んだままなの? 永遠に死んだままなの? 永遠ってなんだろう? 無限ってなんだろう?
こう考えると怖くて怖くて毎晩泣いた。 死ぬくらいなら生まれてこなきゃ良かったと思った。
ところがある日、お釈迦様やキリスト様みたいな偉い人でもみんなを納得させる答えをみつけてないんだから、オレが考えても
しゃーねーや、と悟りの境地に達した。哲学者?になりそこねたw


41 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/18(金) 03:09:13
時間が超高速で過ぎていった。
はっと気がつけば、自分の部屋にいたことも
あった。
それと、空飛んだことうちもあるよ。
すごく楽しかった。
後、小学校4年辺りで急に森に帰る
とか言い出した事があった。


42 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/08/18(金) 06:21:45

子供の頃、ランダムで出てくるの菓子玩具の中身のおまけは
ずっと箱を開けなければどうなるんだろうかと考えた事がある。

そして、「時間にあわせて前種類に変形を繰り返し、開けた瞬間に固定される」と結論をだした。


機械使えば中身なんていくらでも丸見えだということが視野に無かった


56 名前:Hannibal ◆Lwtv9RqBLQ 投稿日:2006/09/10(日) 21:50:04
>・記憶の中で楽しい思い出になっているはずの場所が、どこを探しても見つからない。
>・二メートルのカマキリを見たことがある。
>・兄弟・姉妹間で、声を出さずに会話できた。
こういう話が好きなら、一度このスレに行ってみるといいね。
まとめサイトを載っけておく。
http://ahoseek.s8.xrea.com/enigma/


76 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/09/17(日) 21:26:49
小さい頃は母親と手をつないで寝ていたのだが
電気を消して暗くなった瞬間から
私と母親は悪魔の美術館に展示された美術品になって
少しでも動いたら悪魔に「む!、こいつ美術品じゃない 人間だ!」
と気づかれて殺されるのではないかとおびえてたな

それから自分がまばたきするごとに自分の運命や世界が変わって幸福モードや不幸モードに変わると思ってたな
次まばたきしたら全員悪魔になってるかもしれないとか


84 名前:考える名無しさん 投稿日:2006/11/26(日) 01:33:45
>>53
えーー!?これ今でもやってるよ。普通の事じゃないの?
プレーヤー家に忘れた時とか、脳内自動再生。リアルに聞こえるよ。
ただ「歌詞なんだっけ」とか意識し出すと止まるから、無意識にほっとく。

>>1
10歳位まで、色に取り付かれてた。
黄緑、黄色、ピンクがそろわないと気が済まない。
15歳位まで「12」という数字じゃないと気が済まないという
苦しい体験がある。12がどうしても好きだった。

後、色盲というものを知って以来、個人個人同じ色には見えてない、
私の赤と、彼らの見ている赤は絶対に違う。
だから私は孤独だ、と一人悲しかった。
いまだにこれは思う。


88 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2006/12/12(火) 21:58:08
朝起きると部屋の様子が寝る前と変わってなくて
幼稚園いくといつも同じメンバーがそろってて
こんなありえなさそうなことが壊れもしないで反復されてて不思議だった

いまでもコミュニケーションや行為が成立することの不思議さを研究中なので
たいして進歩してナス…


99 名前:考える名無しさん 投稿日:2007/02/02(金) 18:02:28
・幼稚園の頃、畳などで寝転んでいると自分のいる部分が自分の形のまま、底無しに抜けていくという感覚に陥った
ていうか、20年近く経った今でも感じる


100 名前:99 投稿日:2007/02/02(金) 18:04:24

・小学生の頃、この世には俺しかいなくて俺は宇宙の中で一人夢を見ているんじゃないかと考えていた

そしてある結論に辿り着いた
俺がこの目で見ている部分が俺の見ている夢で、俺の背後や目の届かないところが宇宙なのだと


101 名前:99 投稿日:2007/02/02(金) 18:06:05
・これは中学生の頃の話だが毎晩のように「死」とは何なのか等そういった類のことを考えていた
そしてある夜考えるのに疲れ、眠い…もうダメ…と眠りに就くその瞬間、俺はその答えを見つけた
「ハッ!そうか!そういうことか!そうだったのかぁ!!!」
と感動とともに眠ってしまった
次の日起きたらその答えはまったく覚えていなかったよ

まぁ今では「死」なんて唯の「死」としか思えないし、それが正しいことも解っている

しかしあの感動は忘れられない
その瞬間はセクロスよりも気持ち良かった


103 名前:99 投稿日:2007/02/02(金) 18:16:29
遊眠社の「白い小指」じゃないが、九九を覚え始めた頃から数字や九九の段が色で感じ取れるようになった

0の段は淡い青色
2の段は朱色
3、4の段は黄緑色
9の段は深紅
てな感じで


123 名前:考える名無しさん 投稿日:2007/02/05(月) 08:26:20
>>103
同感。俺も3、4歳の頃に九九覚えてから数字にはずっと色が付いてた。基本的に数字以外の文字(日本語など)とかにも色があって、それを感じてるのは自分だけだと思ってた。そういう色が分からなくなると、失明するもんだと思ってた。


124 名前:99 投稿日:2007/02/05(月) 23:39:47

>>99
(・∀・)ナカーマ
何なんだろね、あれ

てか3、4才で九九て凄くね?
わからんけどww

対抗するようであれだが俺は2、3才の頃には小1で習う程度の漢字は書けた
妹はもっと凄かったけど
まあホントどうでもいいことだけど…


127 名前:考える名無しさん[] 投稿日:2007/02/06(火) 00:20:27
>>123
それ共感覚


131 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/08(木) 23:53:06
・ドッキリカメラを仕掛けられているのではないか、と常に心配して行動していた。
・道を歩く時に、そばにある物のエネルギーが左右の脚に貯まる(例、側溝=少し、マンホール=たくさん)
エネルギーがどちらかの脚に偏るのが許せなくて、左右が均等になるように歩いていた。
・寝転んで空を見るのが怖かった。上下が逆転して宇宙空間に投げ出されて、生きながら落ち続ける!という妄想


132 名前:考える名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/10(土) 14:55:09
・色には感情があり、ピンクと水色、オレンジと緑は恋人同士で赤と青は夫婦、黄色と黄緑はその子供だと考えてた。人間に見られている間は極めて円満だがケースを閉じると泥泥の三角、四角関係の抗争が始まると思ってた。
・小学校低学年の頃、登り棒から落ちたがその10日ほど前に亡くなった祖母に助けてもらった事がある。地面に触れる直前に体がフワッとした感じがした。

>>5に出てくる話って、「シュレディンガーの猫」の話にちょっと似てますね。

参考記事:
シュレディンガーの猫(物理)
http://s03.2log.net/home/mri/archives/blog31.html

知っている人は知っていると思いますが、量子力学の有名なたとえ話に「シュレディンガーの猫」と言うのがあるのです。

シュレディンガーの猫http://www6.big.or.jp/~beyond/akutoku/etc/joke/sch.html

                                                                                                                                      • -

その一つが、「観測が、状態を決定する」と言う概念であり、それを分かりやすく喩えたものが「シュレーディンガーの猫」です。

シュレーディンガーの猫」は、図1のような「箱に入った猫」のことです。ただし、箱の中には「核分裂をする原子」「核分裂を検出する装置」および「検出器が動くと、毒ガスを発生する装置」も入っています。そして、「核分裂をする原子」はシュレーディンガーの方程式に沿って、ある時間後に核分裂をします。いつ分裂するかは、箱の外からでは分かりません。で、いつ分裂するかはわからないけれど、分裂した時は毒ガスが発生して、猫が死にます。

この時、箱を開ける前の「原子の状態」は、どのようになっていると言えるでしょうか。量子力学では、「観測するまでわからないので、分裂していない原子と、分裂した原子が混ざった状態である」となっています。「混ざった状態」とは、普通では考えられませんね。普通は、どちらか片方の状態であるはずです。しかし、「シュレーディンガー方程式」では、「混ざった状態」と言う解が出てくるのです。

そうすると、箱を開ける前の「猫の状態」は、どうなるのでしょうか。原子の状態によって、猫の生死の状態が決定されるのですから、猫の状態も「生きた猫と、死んだ猫が混ざった状態」となってしまいます。なんか変ですね。これが、「シュレーディンガーの猫」と言うわけです。

                                                                                                                                        • -

また、>>127で「共感覚」と言う言葉が出てますが、子供には割合よくある感覚らしい。

このブログが参考になるでしょう。

「珍」の煮こごり:【珍の探求:其の17 数字の色。共感覚
http://www.2log.net/home/sunster3/archives/blog214.html

共感覚(きょうかんかくsynesthesia、ギリシア語で「共」+「感覚」)とは、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五感が未分化である人間の赤ちゃんのさまざまな感覚が関連しあうこと。

例えば、7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりするなどである。その後の成長による感覚の発達にともなってこうした共感覚は失われていく。しかしながらたまにこうした共感覚を保持したままの大人もいる。特に、その場合に共感覚と呼ぶ場合が多い。

なかなかファンタスティックな感覚を味わっていた人が多いようですが・・・共感覚の説明にあるように、脳がまだ「この世」を正しく認識するだけの情報を蓄積していないがゆえに味わえる感覚のように思える。

スレ中にもあるとおり、子供の頃は「死」に対する恐怖が異常なほど強かったような気がする。今は怖い、と言うよりあんまり意識しない。

子供は「この世に入ってきたばかりの状態」とも言えるのでその裏返しとして死が怖くなるのかも知れない。老人になれば、今度は言いようのない恐怖と言うより、現実的な問題として死を意識するようになるんだろう。