KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

戦国ちょっと悪い話(戦国時代)

意外な良スレ。


戦国ちょっと悪い話
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1220008704/

2 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/29(金) 20:20:25 id:LZQYPXp2
姉妹スレ

戦国ちょっといい話
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1172237604/



4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/29(金) 20:28:29 id:bhFSpqX3
本当に立てちまったのか
まぁ厨が罵倒したい家の悪い話を投下していくだけのスレにならないといいが



8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/29(金) 20:40:40 id:LZQYPXp2
このスレは、あくまで、きちんと存在するエピソードであること前提ね。

戦国大名も皆、きれいごとだけで勢力を拡大しているわけではないし、
ピカレスク」ってものも、充分に魅力的だと思うよ?


29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/30(土) 22:45:10 id:YOJDVcFh
天正十七年(1589)、肥前は伊佐早において、竜造寺家晴の命により、家中でも腕が立つと評判の
五人の家臣の手によって、罪を得た三名の侍の、死刑が執行された。


二人の首をはねたあと、残った一人の首をはねようとすると、その侍は哀れみを誘う声でこういった


「お願いです。せめてもの武士の情け。この後ろ手に縛られている手を、前に括っていただけないでしょうか?
そうすれば縛られていても、死ぬ前に神仏にお祈りすることが出来ます。どうか。どうか。」


侍とはいえ、丸腰で縛られている。また、憐れでもある。それに此方は腕の立つものが五人。彼を恐れるのも
馬鹿馬鹿しい話だ。そう思い、囚人の願いを聞き入れ、側にいた一人が後ろに回り縄を解き、前に縛りなおそうとした。
その時である


囚人はすばやく立ち上がると縄を解いた男に猛然と襲い掛かり、相手の刀を奪い取るやいなやたちまち、一刀の下に
切り捨てた。
突然の事に残る四人は狼狽しながらも、囚人を逃がしてなならぬと円陣を組んだ。一人が踏み込む。
が、すばやく横払いされ倒れた。他の三人を目で制し、止めを刺す。三人は恐怖に襲われた。ばらばらに踏み込む。
もはや囚人の思う壺である。家中腕利きの五人はこうして、たちまちのうちに全員が斃された。


囚人はそのまま脱兎の如く逃げた。全身に返り血を浴びて真っ赤な姿で。すると、そこは当時の九州、
近くに教会のあることに気がついた。彼は教会の中に乱入した。そこにいた宣教師に、彼はこう言い放った


「わしは今よりキリシタンとなる!よって、わしを保護せよ!」


囚人であっても、宗徒を名乗った以上、教会は保護しないわけには行かない。また、竜造寺家にとっても、
彼を追跡する事でキリシタンと摩擦が起こった場合、貿易から言っても、領国経営から言っても、難しい判断を
迫られると考えるであろう。これらを全て計算した上での。この囚人の改宗宣言であった。


後日この囚人は教会の手引きにより、長崎へと逃げ延び、無事、生きながらえたと言う。目論見どおりであった。


悪くて強くて頭のいい、戦国の囚人のお話


36 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/01(月) 00:37:44 id:OqZOmtq7
今に残る、美濃斉藤家の家臣が書いた手紙

「公方様(足利義昭)が、入洛するため、信長が公方様の元に参陣する。よって、美濃は尾張に対して
停戦するように、との公方様からの仰せがありました。信長が参陣するなど、どうせ嘘だろうとは思いましたが、
もし停戦のご命令に応じなければ、信長は美濃側のせいで参陣出来なかった、などと言い訳するに違いありません。
また、万が一、信長が本気で参陣するのであれば、これは公方様にとっても結構なことなので、我々は
停船命令に従います、と、起請文を書いてご返事いたしました。


ところが、いざ停戦を通告し、美濃領国の通行を認めたところ、案の定信長は約束を破り、美濃を攻めてまいりました。


当方は、どうせこんなことだろうと思っていました。公方様のほうは、酷くがっかりされたとの事。
しかし、公方様まで使って騙まし討ちして、まんまと追い返された信長は、天下に大恥を書いたといってよいでしょう。」


37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 05:29:54 id:NQFSvZvg
(かっこ)悪い話だな


42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 21:48:51 id:SUY/3Mg8
意図したわけじゃないけど、信長で。
斎藤義龍未亡人の持つ壷がどうしても欲しくなった信長は、何度も彼女にせがんだ。
しかし彼女は「戦乱の中で紛失した」といってきかない。
それでも信長が迫ったため、彼女は「自害する!」と言い出した。
それでも信長はひかない。すると正室の斎藤氏(濃姫)や旧斎藤家臣が
「壷を欲しがるなら我らも自害いたす!」と大騒ぎをし始めた。

ここまで来てやっと、信長も壷をあきらめましたとさ。


48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 22:35:18 id:ridcVTZ3
>>42
むしろ我儘な信長に萌えた


49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/01(月) 22:37:41 id:NQFSvZvg
実際に言った言葉が「お前の茶入れが欲しい」だったら、
おバカで、お茶目で、ストレートで、ちょっとオサレな口説き文句だったものをw

本当に「ちょっと悪い話」で感心した


54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 00:00:22 id:OqZOmtq7
軽く悪い話

細川忠興が、京から、腕利きの左官をつれて領国に下った。
この左官、忠興のお声がかりなのをいい事に、酷く傲慢で、家臣らの評判はすこぶる悪かった。
しかし、実際はきちんとした名字も無い身分。普請の棟梁としてえらそうにふんぞり返っている自分が、
裏でその事を馬鹿にされているかと考えると、いても立ってもいられない。


そこでこの左官、忠興に「武士のような名字を付けてくださいませ。名前も付け替えていただきたい」と、頼み込んだ。
殿様直々に頂いた名乗りであれば、家中のものも馬鹿にする事は無いだろう。そう計算しての事。
最初断った忠興だが、あまりにしつこいので、


「では、こう名乗れ、すさ藁の朝臣鏝次 下地壁右衛門(すさわらのあそんこてつぐ したじへいえもん)」


忠興も人が悪い。この左官の目論見を知っていて、からかったわけですな。
この左官、二度と忠興の前で、名前の件を言わなくなったとか。


57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 07:51:57 id:qgquYNm2
利家といえば、
彼は蓄財好きで有名で兵を抱えるべき金も蓄財に励むので
まつは幾度も咎めたが、利家は蓄財をやめようとはしなかった。
そんなとき、利家の重臣に委ねていた末森城を佐々勢に攻められた。
急いで援軍を差し向けなければ成らないが、兵が足りない。
右往左往する利家をみてまつが「銭を連れて戦争に行け、このバカ野郎」と金壷を投げつけたとかなんとか。


58 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 10:17:01 ID:/ZqwujEq
正論だよなぁw


59 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 10:57:17 ID:6hL/HelI
利家はリアル守銭奴で、同じくケチ呼ばわりされた家康や如水と違い、せっかく貯めた金の使いどころを
いつも間違えた。金がよほど惜しかったようだ。


60 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/02(火) 11:21:29 id:crBXjLyk
大河利まつでもソロバン弾いてるシーンが幾度と無くあったなw

なんか、まつはいい嫁だなあ、と思った。

83 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/04(木) 15:03:57 ID:+zwxPN6T
前田慶次、悪い商人に騙される。


京の町をウインドショッピングしていた慶次、ある商店の軒先に鐙(あぶみ)が一つぶら下がっていた。
珍しいデザインが目を引き、購入しようとしたが、対の片方は無く、これ一つだと言われた。
しかたなく諦めてしばらく歩いていくと、ある店頭に先ほどの片割れと思われる同じデザインの鐙が置いてあった。
慶次は。左右も確かめず、ただちに購入し、先ほどの店に戻って、もう一つを買い揃えようとした。
店の主人は「あなた様が行かれた後、売れてしまいました」と言う。
慶次は非常に残念がりながらも、しかたないと帰っていった。


実は店の主は急ぎ先回りをして、支店に並べておいたのだった。


86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/04(木) 17:10:09 ID:0uavHQTo
元亀四年三月末

織田信長吉田兼見に諮問をした。


「そなたの父の兼右が、『南都(奈良)、北領(比叡山)が滅亡するなら、王城にも祟りがある』と言ったそうだが、
それは本当であるか?」


兼見「はい?まことでございます。」
信長「それは結構なことである。」


それを聞いて信長は喜び、兼見に褒美まで渡した。


次の日、有名な信長による上京焼き討ちが起こった。当時対立していた将軍、足利義昭を脅すためにである。


信長は先の、吉田兼右の言葉に、南都は、松永久秀東大寺焼き討ち、北嶺は無論自身の比叡山焼き討ちを
あてはめ、

「上京焼き討ちは信長が恣意的にやったことではなく、予言されていた運命であり、全く仕方の無いことであった。」

と、喧伝したと言う。


128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/06(土) 23:01:01 id:y6tdixCV
秀吉が関白になったころの、京の都ではやった笑い話

秀吉「予の顔が猿に似ているなどと言う者がいると聞くが、真か!?」とご立腹
近習「これは勿体無い御諚でございます。誰がそのような事を申しましょうか。」
秀吉「ほう、では言ってはおらぬのだな。」
近習「勿論でございます。ただ、世間では、猿が殿下に似たのだと言っておりますが。」

秀吉公、さもあろう、さもあろうと御満悦。


(口が)悪い話


142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 19:47:17 id:efwHKosz
みんな大好き、伊達政宗のお話


政宗が江戸にいたとき。喜多七太夫勧進能があると言うので、能が大好きな政宗公、ワクワクしながら見に行った。
ところが、演場に到着してみると、既に能は終わっており、観客ははけ、役者たちは既に帰り支度。


当然これに激怒した政宗


「わしのお気に入りの「海女」と「船弁慶」を、これからはじめろ!」
「し、しかし、一座のものがほとんど帰りまして、能はもう出来ません」と、恐る恐る座元が言うと


政宗ほどの侍が、能を所望すると頼んでいるからには、しないといっても、させてくれよう!
…刀を出せ!!」


と、小姓に刀を出させ、桟敷から舞台に飛び上がり、刀を抜いた!その時


座元が大慌てで呼び返した役者たちが戻ってきた。


「なんだ、能は出来るではないか。あとは観客だな」


と、政宗、今度はわしが胴元の勧進能じゃ!皆のもの見物していけ!とそこらへんうろついてる人達を片っ端から
引っ張ってくる。だが、無理やり連れてきた客のノリが良い訳がない。すると政宗、お前らもっと盛り上がれ、と
用意していた酒、饅頭、肴を、客席に向って投げ込み始めた。たまたま引っ張り込まれた侍など、このとき饅頭が
頭に当たって政宗に向って投げ返す始末。どうもこのあたりから政宗公、能よりこっちのほうが面白くなってきた模様。
今度は大量の銭を持ってこさせ、桟敷に向って投げ始めた!これには勿論周囲は大パニックに。
銭を求めて争っている人々、おびえる座元と役者、真ん中で高笑いしながら酒を飲んでいる政宗、という
地獄絵図であった。


これを息子への書状に書いた細川忠興
「この話、あまりに現実離れして信じられないかもしれませんが、丹羽長重殿と立花宗茂殿から聞いた
確かな話です。」と、念を入れている。

ちなみにこの騒動、幕府からは例の如く、政宗だから仕方がない」で、不問に付されたとか。

なにこのジャイアンリサイタル

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 20:24:11 id:Bzv+DEiM
うん。
正宗だから仕方ないな、それは。


144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 20:46:09 id:TOrCPcNN
おもしろい奴だな政宗


145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 20:53:13 id:Y5DHrwtC
政宗なら仕方ない

近所のいたずら坊主なイメージ


146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 20:58:45 ID:3dKpsk/z
傾きすぎだろ政宗


147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 21:24:44 id:pf8AqRzP
忠興に「信じられない話」と言われるのがすげーww


148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/08(月) 21:46:29 id:HvZGQC+X
政宗なら仕方ない

愛すべきバカだから。


159 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 00:34:55 id:w5a4ej2R
正宗さんと能の話#2
ある日、正宗がDQNの方の島津家久を招いて宴会をすることになり、
>>142の座元に「座興で能をやるから役者を貸せ」と頼んだ


座元「あいにく先約がありまして・・・」
正宗「あっそ。 んじゃ、おまいらみんなSATSUGAI してやんよ。
    上様(秀忠)に訴えて味方してもらう?いーよ、そんときゃオレも考えがあっから」


これを聞いた家久2号、仮病を使って延期を申し入れたが、
「えー?! 一幕だけでも見てってよ!他の客にオレのメンツが立たねーから!」
などとゴネるので、結局5日だけ延期されることになった。


なお、これも忠興が息子への手紙で論評しており、
「あきれて物も言えねーよ。アイツ、キツネでも憑いてんじゃねーの?」と言っている


160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 00:38:19 ID:4yrly1pt
家康が死んでからやりたい放題だなw


172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 10:50:56 id:rxLQV4Ji
政宗の人生で輝いている瞬間は、
会津を荒らしまわったとき

ではなくて家康が死んでからだと思うぜw


175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 14:28:26 id:oIgI/cTc
政宗は家光から、「老公は天下を取ろうと狙っていたそうだな?」って聞かれて。
「あったりまえじゃないですか。家康公さえいなければ今頃…」なんて抜け抜けと答えるような人だからなw


176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 15:03:32 id:vOzMFsiP
政宗さんすげーっす
でもあんま無茶すっと、自分の死後に伊達家が苛められねーっすか?
そういうのあんま気にしないっすか?


177 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/09(火) 15:28:15 id:bcCtVvW5
いやいや、この政宗の言葉は、家光と徳川に対して最大のオベンチャラで、
家光も聞いて決して悪い気はしなかったはずだ。
「はっはっは。そうであろう、そうであろう」と家光の笑い声がきこえる。


178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 15:44:02 id:sryrwh3/
家光は家康のこと大好きだもんな


179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 16:15:44 id:jLLNs3mp
秀忠に言ってたらどーなったことやらw


198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 14:09:19 id:q4JQeDWc
大永4年(1524年)、北条氏綱は扇谷上杉氏の家臣、太田資高を寝返らせて
江戸城を攻略した。


扇谷上杉朝興はこれに対し、北条と対決する事を決意。
そのためには軍勢である。彼は越後を支配する長尾為景(謙信の父親)に、援軍を申し込んだ。


が、為景は、言を左右にして態度をはっきりさせない。
彼の元には氏綱から、このような書状が届いていたのだ。


「為景殿かねてよりお探しの名画、間もなく手に入れられそうです。」


為景は、絵画の愛好家であったのだ。


援兵は来ぬまま、江戸城は北条の元に下る。
為景の元には、羨望していた名画が、北条より届けられた。


為景にとっては主筋の衰亡よりも、絵画のほうが大切であった。
そして氏綱にとっては、個人の趣味趣向も、大切な謀略の種なのであった。



202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 00:08:31 id:qwcl/Om8
有名な宮部継潤の息子、宮部長煕。


家康の上杉征伐参加し、三成挙兵の報により、またともに西上した。
尾張まで来た時、彼は三成方と接触し、西軍に参加することを約束。
そして夜、闇に乗じて彼は、陣を抜けた。なんと彼は、自分の率いてきた部隊を
置き去りにし、一人で西軍に合流しようとしたのだ。約束通り熱田まで向かう。
そこから船に乗り一気に大阪まで行く予定であった。だが、なにかの手違いがあったのか、
その船が着いていなかった。


長煕は焦った。
夜が明ければ自分のいないことは知れ渡り、探索され、捕縛されるに違いない。
どうするべきか…?そうだ!

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    <`∀´∩< 何食わぬ顔をして東軍に戻ろう
    (つ  丿 \_________
    ⊂_ ノ
      (_)

と、長煕は、こっそりと自陣に戻ったのだ。


が、

宮部の陣では既に、長煕の逃亡は露見しており、彼に「見捨てられた」家臣たちは
彼を主君として「見限り」、新たに田中兵部大輔を大将としていた。
そこにのこのこ帰ってきた宮部長煕、あっという間に捕縛され、岡崎城に拘束された。

さらに「あんな馬鹿な男一人を味方にしてどうする気だったのだ?それほど西軍は
人材に困っているのか?」と、東軍内での西軍の評価まで、一気に落としたという。


203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 00:50:25 id:dd4UaSLm
間の抜けた話だぜ!


204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/11(木) 06:36:28 id:m0Qrix34
ワロタ
西軍にしたって軍勢込みで勧誘したろうに、
それをおきざりってw



219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/12(金) 01:59:09 id:gXeMNN/I
武田家の、遠州高天神城守将の一人に、横田尹松と言う侍がいた。
御存知のように高天神城は徳川勢によって攻め落とされ、横田は命からがら落ち延び、
甲斐へと逃げ帰った。


帰還した横田を。勝頼は喜んで迎えた。「よく生きて戻ってきた。褒美を与えよう!」
と、太刀を渡そうとすると、


「何を言っているのか」


横田は言った


「城を落ち延びて褒美をもらうなど、私は聞いたことがありません。
このようなもの、頂ける筈がありません。」


そう、その太刀をつき返した。今になって労苦をいたわるくらいなら、何故
篭城している最中に、援軍を送ってこなかったのか。
言葉に出さずとも、そう、勝頼を批判していた。


勝頼は苦りきった顔で、その太刀を引っ込めたと言う。


その頃の武田家の空気を、伝えるお話。


260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 08:18:37 id:QYSy2sJe
熱心な毘沙門天の信徒であった上杉謙信
上杉家の軍儀毘沙門堂で行う事になっている。


しかし、そのときは違った。
一刻一刻と敵は間近に迫り、猶予のない状況。謙信は軍儀を急いで行うために毘沙門堂では開かない旨を家臣たちに伝えた。


「しかしそんなことをしては毘沙門天の怒りにさわり、祟りがおきましょう。戦にも負けてしまいます。」


この時代、神仏への信仰や験担ぎなど、ジンクスを気にする人間は多かった。
特に当主謙信を筆頭に越後、上杉領では毘沙門天を振興する人間は多く、家臣にもかなりの数の毘沙門教徒がいた。当たり前の反応である。
ところが謙信は


「何を申すか。戦をするのは毘沙門天ではなくこの謙信である。それにこの越後で毘沙門天が広く信仰されているのは、偏に儂が手厚く保護しているからに他ならない。逆に儂が感謝されても良い位である。」
と言い放った。



熱心な宗教家といわれている上杉謙信の、軍人としてのちょっと(信心が)悪い話。


261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 08:41:48 ID:7jR5ujkB
>>260
老婆心ながら訂正すると軍議ではなく、間者との契約の儀式ですね。もともとの逸話を曲げて軍議としたのは童門氏。
江戸後期の名将言行録の話ですね。もともと江戸初期の北越軍談などでは
「謙信は摩利支天の再来」と称されるように軍神のごとく改められていたとされていて、
それをもとにして作られたエピソード。
本当は謙信は家中の自分への崇敬心を戒める意味も込め、
迅速に合理的な対処をしたという意味が含まれているとのことです。


262 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 13:54:36 id:M1nJot/K
秀吉の天下統一により、上方に出仕した南部信直が、一門の八戸直栄に出した手紙。

「上方の大名は我々のような田舎者を馬鹿にし、恥をかかせます。なので、月に一度の
前田利家殿との面会以外は、屋敷から出ないようにしています。

ここでは他家との交際のため、朝から晩まで、恥をかかないよう気を使わなければなりません。

…国に帰りたい。


265 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 21:16:21 ID:00I+U6CT
ホームシック田舎大名といえば鮭様、名護屋にて家臣にあてた手紙
(家臣宛を偽装した妹宛説も?)

「敗戦の罪で大友が改易されたお・・・
もう頭そって坊主にでもなって、山奥に逃げて寿命をまっとうしたい。
どうやらうちは朝鮮いかなくていいらしいけど、
本当にそうなって最上の土をもう一度踏みたいです。
水をおなかいっぱい飲みたいです。」


266 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/15(月) 21:58:07 ID:14iDgfJS
>>262
都会の女子大に進学した田舎育ちのお嬢様みたいだな

まあ、もっと本当に悪い話も元スレではあるんですけど、ちょっと悪いアホっぽい話を中心に抜粋してみました。


ホント戦国時代は地獄だぜ!