KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

山口組経営学・東京建築物語・空からぎろちん


渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」 (竹書房文庫)

渡辺芳則組長が語った「山口組経営学」 (竹書房文庫)

ある意味、そこらの大企業の社長より「山口組組長」は有名。昔、父親に「日本で一番強いやくざってどこ?」って聞いたら、「そら、山口組やろう」と答えたのを思い出す。

普通の企業以上に義理人情が支配する世界らしい。


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どうも、私は建築物が好きらしい。東京都庁とか、何度見ても飽きない。最近は東京駅周辺で再開発が進んでるので、でっかいビルがたくさん建ったり壊されたりしてるのがとても楽しい。


最近のビルは洗練されてガラス張りでピカピカだが、明治期から昭和初期に立った建物というものは独特の重厚さがある。パレスサイドビルとか、大学院に通ってた頃はほぼ毎日見ていたが、やはりそれなりに歴史ある建物らしい。写真が多くて、面白い本でした。


空からぎろちん (講談社文庫 な 41-16)

空からぎろちん (講談社文庫 な 41-16)

この本は文庫本になる前に読んだと思うのだが・・・・改めて読むと読んだのか読んでないのかよく分からない。全編らも節なので、他の本と見分けがつかない、と言うのも少しある。


ただ、この本を読んで、改めて「私の思考方法と言うのは、少なからず中島らもに影響されたものなのだなあ」と感じずにはおれませんでした。



ちょっと長くなるが、最初の「踏みにじられた夜」から。

「おいっ、飲んどるかっ!」
横で大声がしたので、おもわずそっちをみてしまった。
夕方の地下街の一杯飲み屋である。
僕は久しぶりに一人で飲む時間をひねり出して、カウンターでボウッとしながら今日一日のギスギスした時間のカドがトロトロと溶けていく感覚をたのしんでいた。
そんな夢を破った大声の主は隣の三十五、六歳のサラリーマンで、もうかなりメートルがあがっているらしい。
横に座って慣れぬ手つきで酌をしているのは、明らかにこの春入社したばかりのフレッシュマンらしい青年である。

<中略>

僕はまた自分の世界にボンヤリと入り込んでいった。と、また、
「飲んどるかあっ!」と大声がした。
「はい、いただいてます」
「そうか。遠慮するなよ。何か食いたいもんがあったら言えよ。え?おい。何か食えよ」
「はい。えーっと、それじゃあ・・・・」
「それとな、クドいようだがもうひとつ言っとくっ!」
「あ・・・・はいっ!」

<中略>

「クドいようだが」じゃない、ほんとにクドいんである。

何が「酔えっ!」だ、こんな状況で気持ち良く酔える奴がいたら精神医学上の珍種だろう。
何とかかわいそうなフレッシュマン君を放免してやりたかったが、他人の僕が口をはさむわけにもいかない。
僕は何か酒がまずくなってその店を出ることにした。

店内の湿気を逃れて夜風にあたると、僕は今とにたようなシチュエイションでこの十数年間にぶっつぶされた何百何千という「自分のよる」を思い返そうとした。
それは何百冊もの本が読め、何百本もの映画が見れ、詩がかけた時間だった。
「これは僕の時間で会社のものではありません」とハッキリものが言えるまでに十年かかった。

この文章にはいろいろと考えさせられた。

僕は、本来の性格としては中島らもと同様に一人でマイペースで飲むのが一番好きな人間だと思うのだが、年齢的にはそれなりにいってるので「三十五、六歳のサラリーマン」の気持ちもそれなりに分かる。要は、「俺はこうしてここまでになった」と言うことを言いたくてしょうがないんである。

私自身はそれほど偉くないので酒の席でもそういう物言いはあんまりしないのだが、同じ部署の海外の一流大学でMBAを取った先輩が同じように新入社員に語っているのを目撃したことはある。その場では、僕は苦笑しながら眺めていた。それなりに会話には参加してプレッシャーは緩和したつもりだが。


MBAだろうが営業マンだろうが、「俺はこうしてここまでになった」と言うことを語りたい欲求は誰しもあるもんなんだと思う。


新入社員の指導員になっている関係上、僕も「三十五、六歳のサラリーマン」の立場に立って「社会人というものはだな・・・」と言うのを説教しなければならない立場にあり、実際そういうことも言っているのだが、どこか内心で苦笑している自分に気がついてもいる。僕は実力もない割に生意気な新入社員だったのでそういう精神論的な話は間違いなく鼻で笑っていたに相違ないのである。


一応、ここ最近の当社の新入社員は非常に素直なので僕が「言葉づかいや身だしなみ等に気をつけないと君自身が損するよ」(実際、自分が損してきたのでこれは本音である)と言ったら納得はしてくれているようである。本心でどう思っているかは不明だが。まあそんなこと考えてもしょうがないし。


まあ、若い人は会社組織の理不尽さに幻滅することも多いと思うが、非論理的なことが会社を運営する上で潤滑油的な役割を果たしていることも多いのである。若い人も若くない人も、みんなもう少し長い目でみることはできないものかなあ・・・・とか考える私である。


「「これは僕の時間で会社のものではありません」とハッキリものが言えるまでに十年かかった。」というのも興味深い。10年くらい勤めると会社にも慣れてきて、それなりに仕事をこなしている実感も出てくるので、ハッキリものが言えるようになるのかも知れない。私もそんな感じだった。昔は口ではいろいろ言いながらもどこかに「会社に貢献してない」という負い目があったように思う。今はそんなでもない。