KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

昔馬鹿にしてた愚将のことを笑えなくなった奴のスレ(戦国時代)


大人になるっつうのはこういうことなのかも知れない。


昔馬鹿にしてた愚将のことを笑えなくなった奴のスレ(戦国時代)
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196175925/

1 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/11/28(水) 00:05:25 id:SexHvsTC
酒色にふけったり、
忠臣を遠ざけたり、
奸臣を重用したり、
目先の利にとらわれたり、
しょうもない見栄にこだわったり、etc、etc…

子供心に「こいつ馬鹿だろw」
て思ってた愚将・暗君のことが、
年をとるにつれ、
他人事ではなかったり、
自分も思い当たる節がかなりあったりする人たちが
集うスレです。

彼らは彼らなりに一生懸命頑張っていたんだよな
きっと…(´・ω・`)


2 名前:人間七七四年 投稿日:2007/11/28(水) 00:18:44 ID:8XPXgxNV
親の借金を引き継いだ俺には
氏真の気持ちはよくわかーる


3 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/11/28(水) 00:22:10 id:Lz7BaV66
朝倉とか能登畠山は専門のサイトを読むと随分再評価させられるね。



4 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/11/28(水) 00:50:11 id:lKFQeMNX
ここは、親の遺産を食い潰すバカ息子でサッカー部の今川氏真が集うスレですね!


8 名前:人間七七四年 投稿日:2007/11/28(水) 16:05:51 id:DXlbJLyZ
氏真公は江戸時代の大名に生まれてたら
「文化大名」として普通に名君と評価されてたと思う。


14 名前:1[sage] 投稿日:2007/11/28(水) 19:39:54 id:SexHvsTC
>>2
ある程度年取ったら親の偉大さって痛感するよね。

>>3
たとえ愚将でも、我が身を振り返ればm9(^Д^)プギャー
できないよね、ていう趣旨で立てたスレなんだけど、
まっとうに彼らを見直す、ていうスタンスも大事だと思う。

>>5
大内義隆は、大河ドラマ毛利元就」では、
当初は気概を持っていたけど、敗戦ですっかり嫌気がさしたって感じかな。
義理の息子も失ったし。

>>6->>9
氏真と勝頼はとても面白い比較対象だと思う。
(自分は「信長の野望」をやる程度で歴史に詳しくは
ないので、その上で聞いてください。)
氏真は仇敵・信長の前で蹴鞠を披露したそうだし、
実像はともかく世間では
「父を超えようという気概も意志もない能無し」
というレッテルが貼られてるように思う(再評価の動きもあるようだが)。

一方、勝頼は「偉大な父と常に比べ続けられるプレッシャー」のなかで、
必死に奮闘していたような印象がある。織田家に対する方針も、
亡き信玄が上洛の意志を示した上で没した以上、かつて織田家との
縁組の予定もあった勝頼は(自身の感情はともかく)、
ことさら織田家には敵対的なスタンスをとらなければ、
家臣に示しがつかなかっただろうし。

当主としての心構えからいえば、勝頼のほうが立派(に見える)だけど、
勝頼は滅び、氏真は生き延びた。
この辺はどう論ずればいいのか本当に難しいね。
天下泰平の王道楽土の実現を目指す儒教思想
無為自然老荘思想なんかと絡めて身の処し方について
語るのもいいかも知れない。

ちなみに、氏真も勝頼も正室は北条氏出身という共通点もある。
氏真の正室は、氏真とは生涯仲睦まじかったようだし、
勝頼の正室も、山岡荘八徳川家康」では、実家より夫を選んだ女性として描かれてるし、
北条氏の女性は人間的に立派だね。「幻庵おほへ書」の教育効果かな?

>>10
自分はもろに長男です。ものの見事に総領の甚六ですw

>>12
ちょw 言われて今気づいたw ありがとうw



26 名前:人間七七四年 投稿日:2008/01/03(木) 11:46:25 ID:07cyb5SN
>>1信雄なんて頑張った方だよな。
なんだかんだ言っても家名を存続させたんだから。
一番の親孝行者だ。


28 名前:1[sage] 投稿日:2008/01/12(土) 03:21:56 ID:6cSMDQHL
>>24
>>26

凡人の我々には、信長や謙信などよりも、
愚将、暗君の生き方のほうがある意味よっぽど参考になるかも知れないね。


信雄などのように、周囲から嘲笑を受けても、それにめげずに73歳まで
生き延びたそのしぶとさこそ、凡人が見習わなくてはならないものかもしれないし、
また努力しだいでは習得可能な特性なんじゃないかとも思う。
安易なビジネス本では「信長の先進性を見習え!」とか言ってるけど、
んなもん見習ってどうにかなるもんじゃないってのにw


あと、自分がこのスレを立てた理由はもう一つある。
それは、「君君たらずといえども臣臣たらざるべからず」というテーマについて語りたかったから。
今川氏真には朝比奈秦朝がいたし、上杉憲政には長野業正がいた。
英邁な君主に対し臣下が忠義を尽くし、殉じるのは納得できるけど、
その一方でどんな愚昧な君主の下にもなぜか忠臣がいるということの不思議さ。
その時代の価値観だから、と言ってしまえばそれまでだけど、
たとえ愚将であっても暗君であっても、彼らに「何か」があったから、
家臣たちも忠義を尽くしたのではないかと思い、スレを立てたのですが、
いかがでしょうか?


29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/01/12(土) 11:24:44 ID:ck/aa1eq
>>28
>今川氏真には朝比奈秦朝がいたし、上杉憲政には長野業正がいた。
その2人が共通して持ってたのは「名家の箔」かもと思った
もちろん名家で育ったことによって身に付いた教養とか高貴な振る舞いとかもあるかもしれんが


31 名前:人間七七四年 投稿日:2008/01/13(日) 19:55:23 id:BeyOd1Bs
>>28

それが当時の道徳として最高のものだったから。

名君に忠義を尽くすのは「あたりまえ」と捉えられていた。
むしろ暗愚な主君に尽くしてこそ、
「名臣忠臣の誉れ」
と言われてたんです。

無論、生き馬の目ん玉を引っこ抜く戦国時代ですから、
こういうのは稀な例なんですが、
稀なだけに名前が全国に轟くことになります。
この
「名こそ惜しけれ」
の思想が戦国末期の特色の一つです。
案外実利だけでもなかったんですよ。

後の江戸時代はこのレアケースを普及するために朱子学を国教とするわけです。


32 名前:人間七七四年 投稿日:2008/01/14(月) 10:48:41 ID:dcSo1hKC
>>28
同意。信長や信玄の生き方や才能なんて常人に真似できるわけないし
俺らみたいな凡人には思い付かないような事や真似できないような事を
したからこそ、彼らは名将として名を残すことができたわけで。

何年か前にSMAPの世界に一つの花が流行った時
友人が「世の中の大半の奴はNo.1にもオンリーワンにもなれない。
凡庸な人間のまま終わるもんだから身の程をわきまえないとな。」
って言ってたのを思い出したよ。

むしろ一部のトップの人間を除けば、凡庸だの愚将だの言われようと
泰平の世まで強かに生き抜いた人達の生き方を参考にするべきだと思うよ。
英雄になれる人間なんてほんの一握りなんだから。


35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/01/14(月) 15:30:32 ID:ns+jSXqc
今川氏真と朝比奈泰友は同い年の竹馬の友。
上杉憲政は父親の晩年の子で、先代に恩顧を受けた長野業正にとっては
幼い時から見てきて自分が守らねばと思わせる存在。

やっぱり主従の縁でも、年月を掛けて交流して思い出を作っていったら
簡単には捨てられないんじゃないの。
特に昔の人は元気でも若くても流行り病で、ころっと死ぬことがあるんだから
自分が何のために生死をかけるかには、現代人以上に覚悟があると思う。


38 名前:人間七七四年 投稿日:2008/01/15(火) 04:53:12 id:naHeCRg9
氏康は身内を大事にする人物で、最後まで氏真に好意的だったと思う。
信玄にしても義信の廃嫡が桶狭間の5年後、進行開始が8年後なので
いきなり脅威になったわけではなさそうだ。氏康の抑止力が働いて
いたのかもしれない。

信玄の駿河侵攻決断を招いたのは共同作戦を取れるほどに台頭した
家康の存在と、三河喪失で露呈した氏真の相対的弱さなんだろう。


39 名前:1[sage] 投稿日:2008/01/16(水) 19:10:32 ID:55p4mhl0
>>29
氏真も憲政も毛並みはとてもいいからね。血が人を作る、ていう事もあると思う。

>>32
お互い凡人同士、小早川秀秋の如く世間の目を憚りながら小心翼々日々を過ごし、挙句の果てに若死にするのではなく、
「人でなし」と言われようがなんと言われようが、織田長益の如く、ずぶとく生き抜きましょうぞ!

>>35
確か塩野七生さんが「ローマ人の物語」に於いてカエサルを例にしてリーダーの資質について述べていて、
曰く、「優れたリーダーとは、『この人について行きたい』と思わせるだけではなく、『この人には自分がいなければ!』と思わせる存在でなければならない」(大意)

そういう意味では、氏真も憲政も立派なリーダーかも。
何というか、危なっかしくてとてもじゃないけど放っておけないw

>>37、>>38
氏康にすれば、氏真を押さえておけば、武田や徳川との駿河領有をめぐる争いにおいて、
大義名分を得る事が出来る、という計算も働いたんじゃなかろうか。
とはいえ、氏康は「義を守りての滅亡と、義を捨てての栄華とは天地格別にて候」
に代表される、北条氏綱の遺訓をきちんと守っていたと思うから、たとえ政略的に
価値がなくても、氏真を大切にしたと思う。

>>31
なるほど。ただ、太田道灌や土居宗珊のように、
忠義を尽くしすぎて、主君の不興をかって弑殺されたケースはどうなるのでしょうか。
自分はこう考えました。

周囲の反応:ケース1
「いくら忠義を尽くすといっても、やはり主は選ばねばな。無道の君主に仕えて殺されたとあっては、
よい笑い者じゃ」

周囲の反応:ケース2
「○○殿は、どのような主に対しても忠義一途に仕え抜いた。○○殿こそ、真の武士じゃ」

自分も、おそらくはケース2の反応、一徹な忠義心を評価される場合が多いと思います。
ケース1の反応では、誰一人浮かばれないですから。
ただ、ここでポイントとなるのが、仮にその忠義心を評価される場合、必ずと言っていいほど、
彼らの主の無能ぶりが、彼らの忠義心を一層美化し、引き立てる事になっている、という点です。
非常に偏った見方をすれば、君主の顔に泥を塗ることになろうが自身の忠義が後世に評価されればそれでよい、
と考える輩もいなくはなかったのではないか、と。それは果たして忠義心と言えるのか、と。>>31さんの、
>案外実利だけでもなかったんですよ。
という言葉から、そんなことも考えました。
また、古来中国で家臣の出処進退の理想の在り方とされてきた、「功成り、名遂げ、身を引く」
という言葉も、その辺を考えるとなかなか深いものがあると思います。
他に考えられる周囲の反応を含め、このへんは>>31さんだけではなく色々な方のご意見を伺いたいと思います。


42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/01/18(金) 16:55:07 id:ziShM/ED
>>39
ローマ時代の話なら初代皇帝アウグストゥスが、病弱で軍才無くて
戦争は盟友のアグリッパに全て任せていたというのが有名ですね。

役割分担できる生涯の盟友ってのはソニー井深大さんと盛田昭夫さんの
のようにいい話ですなあ。でも凡人の家庭でも夫と妻が仲良く携えて
生活していくのが一番かw


53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/01/31(木) 23:20:32 ID:1RHL/rp5
後、暗君に仕えた忠臣として自分は朝比奈泰朝、長野業正を挙げた。
それに対し、>>29は、

>その2人が共通して持ってたのは「名家の箔」かもと思った
>もちろん名家で育ったことによって身に付いた教養とか高貴な振る舞いとかもあるかもしれんが

と言っていて、それはもっともだと思った。
確かに、氏真や 憲政は、毛並みがいい。
でも、なまじ毛並みがいい分、家柄に隠れて
彼ら本来の人間的魅力(もっとも、家柄と個人の性格は密接に関連しており、
実際は不可分だと思う)が見え辛いなと思った。

そこで、今度は龍造寺隆信と龍造寺四天王を採り上げてみたいと思う。
龍造寺氏は類稀なる貴種というわけではないと思う(よく知りません、すいません)。
だから、四天王が隆信に殉じたのは、血筋に対する忠義というより、
隆信個人にそれだけの魅力があったんじゃないだろうか?
隆信は愚将でも暗君でもなく、むしろ頭は切れると思うけど、
恩人の息子を謀殺するなど、言わば暴君の類だと思う。
そんな冷酷非道な暴君、隆信にもなぜか、やはり忠臣がいた。
自分は、隆信と四天王の関係は、
中国の智伯と予譲の関係のようなものなのかな、と思った。
強欲な暴君だけど、一方で骨のある男を厚遇するような
侠気も持ち合わせている、やくざの親分のような感じ。
最期も輿を担いでいた兵に見捨てられたみたいだし、基本的に人徳はなかったと思うけど、
それでも自身が目をかけ、厚遇した四天王は皆、隆信のために最期まで奮戦し、
彼に殉じた(木下昌直は生き残ったとの説もあるようだが)。
類稀なる尊い貴種というわけでもなく、人徳もない。
ないどころか残虐非道、酷薄冷徹な君主の下にもやはり忠臣がいたという事実。
>>31、>>35も指摘しているけれど、自分は、この時代はきっと「知己の恩」という言葉が
現代では想像もつかないくらい重みを持っていたんだろうなあ、と思う。


54 名前:人間七七四年 投稿日:2008/02/05(火) 13:31:53 ID:kevopaEI
>>31でございます。

この時代、ヨーロッパではシェークスピア歌劇が頻繁に上演され、関ヶ原の年にはセルバンテスドン・キホーテを書いたりしています。
洋の東西において国が形づくられ、それが永続しそうな気配があったんでしょう。
その自分の所属する民族の単位が永続性を持つにあたって、それまでの人間にはあまりなかった、
「自分という人間を後世の人々に、自分が思ったような姿で語って欲しい」
という欲望が発生したようです。
後の真田幸村なんか、明らかに言動が芝居がかってますしね。
彼ら戦国末期の武将にとって、人生とは劇場で芝居をしているようなものだったのかもしれませんよ。


蛇足
この感覚が敗戦を切っ掛けに破壊されてしまったのが、現代の企業がらみの犯罪の根っこなんじゃないかなぁ〜と、思ったりしてます。


57 名前:人間七七四年 投稿日:2008/02/06(水) 21:13:59 id:L9YEoEBs
呂布一条兼定のような暗君暴君の下にも高順、土居某のような忠臣がいる不思議。


58 名前:人間七七四年 投稿日:2008/02/07(木) 10:10:38 ID:sfqyvieF
呂布あたりは気楽に「オレ・オマエ」の関係で付き合えたのかもしれない。上下関係が厳しい社会だと、それだけでも付いてきてくれる部下はいるかも?

高順ぐらいになると家来じゃないし、部下というよりも同盟者…というかクーデター仲間みたいなもんだから、余計にそうじゃないかな?
下世話にいうとバクチ狂いのダメ亭主としっかりものの女房のようなものだと思う。


66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/02/09(土) 21:48:36 id:PzOeBJdB
北条氏政




不器用だっていいじゃないか
親父より出来が悪くたっていいじゃないか


77 名前:1[sage] 投稿日:2008/02/12(火) 18:58:41 id:NkzNIqGW
>>54
幸村(信繁)あたりは豊家のためというより、自分の生涯をいかに完結させるか、
に主眼をおいていた感じがしますね。

>洋の東西において国が形づくられ、それが永続しそうな気配があったんでしょう。

>「自分という人間を後世の人々に、自分が思ったような姿で語って欲しい」

なるほど。あなたや>>62のご意見を伺って、自分は、果たして光秀はどのような己を後世に残したかったのだろうか、とふと思いました。
辞世において、「名など惜しくない」と彼は言っていますが、それはどのような「名」なのか。
名臣としての名か、はたまた信長に比肩する天下人としての名か。
では、彼が惜しんだのは何なのか。

>この感覚が敗戦を切っ掛けに破壊されてしまったのが、現代の企業がらみの犯罪の根っこなんじゃないかなぁ〜と、思ったりしてます。

一昔前の犯罪だと、「組織のために泥をかぶって」というケースが結構多かったような気がします。
最近そうでなくなってきてるのは、やはりこの国においても個人主義が根付いてきてるんですかね。
集団主義個人主義の衝突の一例として、(かなり古いけどw)自分は、
極東軍事裁判における東郷元外相と嶋田元海相のやりとりを思い浮かべました。

>>55
成松信勝は今山合戦で敵の総大将を討ち取っているし、百武 賢兼は蒲池氏謀殺を強諫してるから、
彼らはそれなりの地位にあると思ってたんだけど、そうではないのか…。

>>56
華のある男だよね。>>54でも指摘したけど、家康と幸村は武士のあるべき姿の両側面(実と華)を互いに分担し合っているようにも見える。
幸村は本当に素晴らしい武将だと思うけど、それは家康という相手がいたからこそ。逆もまたしかり。

>>57
自分はそれが知りたくて、もしくはそのことについて語り合いたくてこのスレを
立てたのですが、どう思われますか?

>>58
呂布と高順の身分はどのくらい違ってたんだろう。

>下世話にいうとバクチ狂いのダメ亭主としっかりものの女房のようなものだと思う。
しっかり者なのに、なぜか呂布を見捨てられない高順だめんず属性高しw

>>60、61、63、64
傀儡の身であることに甘んじる事ができなかった点は、賛否両論、というよりは「現実が見えていない」
という意見が大勢を占めるとは思うが、自分としてはあえてそこを評価したい。>>64の言うとおり信長包囲網があそこまで信長を
苦しめ得たのも、義昭の存在あればこそ。

また、このスレ的な視点で見るならば、尾羽打ち枯らして零落しても、
将軍位を頑として秀吉に譲らなかった事も評価したい。
兄・義輝は剣豪将軍の名に恥じない最期でその武名を高めたけれど、
弟・義昭は「身の程も知らぬ阿呆な公方よw」と世の人にさんざ馬鹿にされながらも
最期まで将軍位は捨てなかったわけで、満座の罵詈雑言の中で、往時の信長以上の権力を手にした秀吉相手に
意地を通し抜いたのは、これはこれで立派な戦いだと思うし、凡人にはそうそう真似できないと思う。
(義昭から将軍位とったら何一つ残らない、という身も蓋もない事実はこの際スルーでw)


88 名前:1[sage] 投稿日:2008/02/15(金) 22:51:16 id:RwX2Q/P6
>>61、>>66
北条氏政は一昔前は本当に評価ひどかった気がする。
池波正太郎真田太平記」でも真田昌幸に「北条蛆虫」
呼ばわりされるなど、ぼろくそだったと思う。
でも、北条氏の最大版図は氏政の代だし、
最近はずいぶん評価されてるように思う。

彼の最大の失策は秀吉に臣従しなかったことだと思うけど、
過去の成功体験に囚われてしまうのは、
まあ凡人の性だろう(桶狭間以降、相手より寡兵での戦いをしなかった信長はやはり天才だと思う)。
なまじ信玄、謙信という名うての戦上手を退け得たがゆえの過ちなんだろうね。
それに、後北条氏のスタンスは、早雲以来、歴代一貫して関東モンロー主義だし。
その始祖早雲も、司馬遼太郎「箱根の坂」をはじめ、
「政治の乱れにより腐敗し、戦乱により疲弊しきった都の有様に失望した伊勢新九郎が、
民が幸せに暮らせる王道楽土をこの世に作りたいと願い、関東に下った」
という風に描かれるのがほとんど。
つまり都に背を向ける関東モンロー主義は後北条の後北条たるゆえんともいえるわけで、
小田原篭城だけでなく、関東モンロー主義はそれまで後北条氏に繁栄をもたらしてきたのだから、
それを180度転換させるのは相当難しかったと思う。

後北条氏は中央に背を向けたがゆえに栄え、またそれにより滅びた。
何とかいいとこどりできないものかと思うけど、難しいよね。
それに後北条氏が築き上げたものは、家康を通して、現代の日本にもしっかり
受け継がれていると思うから、そういう意味では、色々言われる事はあるけれども、
それでも氏政は幸せだと言えるかも。


100 名前:人間七七四年 投稿日:2008/02/16(土) 11:06:12 id:D6hajRqM
昔は「長篠w勝てるわけないのにw勝頼馬鹿だな。降伏しろよ」とか
いうクチだったなあ。

万の生命を預かったことなんてないくせにな。自分の行動で国の運命が
左右されるのにな。ゲームじゃないんだよな。兵や民はただのリソース
ではなく生きているんだよな。普通発狂するよ。
父・信玄が残した負の遺産に苦しみながら、信長を向こうに回して
戦い切った勝頼は偉大だよな。斜に構えるのは誰にでもできること。


102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/02/16(土) 18:27:01 ID:9v7nl0Wh
誰一人として馬鹿にして良いような人はいないよな。
ヘタレ大名と言われてる人から足軽雑兵に至るまで。


この世は一人の天才と九九人の凡人で出来ている。


子供のころは、天才に感情移入しがちだけど、な・・・


スレ主の真摯な対応に、古き良きネット社会をみたような気がする。