KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

日本人が時間に神経質なのは何故ですか?(民俗・神話学)

最近、過去記事の二毛作でしのいでますが、たまには新ネタも。

日本人が時間に神経質なのは何故ですか?
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/min/992840242/

1 名前:天之御名無主 投稿日:2001/06/18(月) 13:57
日本以外にも神経質な民族はいるんですか?


2 名前:天之御名無主[sage] 投稿日:2001/06/21(木) 01:45
ドイツのホテルのベッドメイキングは有名だな。


3 名前:6月10日生まれ[age] 投稿日:2001/06/21(木) 10:42
おもろいネタですね。

ちょっと整理しますと、
1・日本人はいつから時間にうるさくなったのか?
ふつうに考えたら時計が登場した近代以降であるはずですが、もしそうであるとするなら、

2・どうして近代以降も時間にルーズな国とそうでない国があるのか?
これを考えるためにもおっしゃるように国ごとの事例が必要でしょうね。

私の経験の範囲では、フィリピン、マレーシア、台湾といった東南アジア諸国では、日本に比べたら時間に寛容な気がする。一般に町よりも田舎の方が時間にルーズ。いくらルーズな国でも、例えば飛行機の特に国際線などはやっぱりきちっとしてるし、それに比べたら国内線の閑線やバスなんかはルーズな傾向がある。たぶんそれぞれのお国事情が一番はっきりするのは、個人的な待ち合わせの場合なんじゃないかな。

アメリカや韓国なんかはわりときっちりしてるんじゃないかというイメージがありますけど、どうなんでしょう?

ところで
>>3
ドイツのホテルのベッドメイキングって何ですか?さっぱり分からないもので。


4 名前:6月10日生まれ[age] 投稿日:2001/06/21(木) 10:52
仮説提唱!

「あったかい→ルーズ  寒い→きっちり」

これは勤勉性と関係があるような気がしますがどうでしょう?

もちろん例外はあって、ロシア人が勤勉で時間を守るかというとどっちも怪しい気はする。
でも西欧あたりを見る限りでは、もしかしたらそういう傾向があるんじゃない?
ラテン系がエエカゲンなのはいいとして、イギリス人や北欧の人たちはどうなんでしょうか?


5 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/06/21(木) 11:03
先進国だからじゃないの?

ーーーーー終 了ーーーーー


6 名前:poppoyama 投稿日:2001/06/21(木) 13:13
大阪は時間厳守だが、沖縄は大雑把である。日本では人口密度が高いほどその傾向が強い気がする。


7 名前:うろぼろす 投稿日:2001/06/23(土) 01:09

>3(6月10日生まれさん)
たしか、宮本常一の『忘れられた日本人』に収められている「文字を持つ伝承者
(1)」のなかで、文字を知らない人々は時間の観念に乏しいが、文字を知ってい
る人間はよく時計を見てどこか時間に縛られた生活をしているという興味深い指摘
がありました。
ちなみに、オングの『声の文化と文字の文化』(藤原書店)でも、似たような指摘が
ありました。
でも、これでは時間に対する意識の地域差はあまり説明できませんね(苦笑)。

以前、地元の公文書館で、戦前の県知事への引継書類の複製本をたまたま読んで、
そのなかにある厚生関係の文書のなかに、沖縄の人は時間にルーズなのは問題でこ
れは時計の普及率と関係があるのではないかということで、首里那覇で時計の普
及度を調査した資料がありました。
家でも個人でも時計が普及した現在でも、あいかわらず沖縄は時間にはルーズです
けど(オレモナー)。


8 名前:名無しさん脚 投稿日:2001/06/23(土) 02:36
「日本人が時間に厳しい」というのは、つまり、社会的な
ものと、国民性という二点に絞られるのではないか、と思
うのだけど。ラテン系民族みたいに「シエスタ」がある訳
ではなし、「半ドン」という言葉に示されている通り、
時報によって支配されていたという明治期もあり。
「一時」が2時間だった江戸期には、時間に対してもっと
ルーズだったかも知れませんね。また、今でも、「XX時間」
というように、地方によって待ち合わせなどの許容範囲は
変わるし。東京などは、厳しいですね。大阪は知らないけど、
都市部だと、厳しそう。で、田舎だと、緩そうな気がするな。
これは偏見じゃなくて、あくまで「実用的」な意味で。
まあ、今では都市と地方の差というのは微妙ですが、「何か
から縛られている度合い」と、「時間に対する意識」とは
等価だと思いますから。
兜町の人たちなんて、それこそ、時間にはシビアなんだろうな。


9 名前:名無しさん脚 投稿日:2001/06/23(土) 02:39

んと、続き書きです。沖縄に遊びに行った時、歓楽街が
盛り上がるのは9時〜10時頃からだ、ということでした。
なんでそんなに遅いんだろう? それ、不思議だったんで
すけど、店の人に聞いても明確な答えは得られなかった。
「そんなもんだから」って。沖縄のみなさん、その時間まで、
何やってるの?


10 名前:6月10日生まれ[age] 投稿日:2001/06/23(土) 23:07
>>7(うろぼろすさん)
そうかそうか、「忘れられた日本人」にその記述、ありましたねぇ。私も感激しながら読みましたが、ずいぶん前のことですし忘れていました。

私は東南アジアのとある先住民族の方と現地で接触をもった経験がありますが、文字を持たない文化に育ち、今でも文盲の人が多い彼らは、確かに時間にはルーズなところがありました。じゃあ文字を持つ他の民族と比べてどうか、あるいは同じ民族で文字が読める人と読めない人ではどうか、ってのが検証できるほどの経験はないのですが。

でも、江戸時代あたりから、日本人は身分にとらわれず農民でも文字文化に接する機会の多い珍しい文化を持っていた、て認識がありますよね。宮本さんの本のなかにも、地方の片田舎でも一部に文字を知り、外界の情報に敏感な人がいて、そういった人たちがムラに新たな文化を持ち込む役割を果たしていたとか。
片やヨーロッパあたりでは、そういった文字文化が一部の特権階級に限定されていたといわれるのに比べると、日本は地方の津々浦々まで文字に限らず新しい文化が急速に広まりやすかっただろう。実際、近代以降に急速に学校教育、文字文化が普及したわけですし、時間感覚もそれに付随するようにして幅広く一様に広まったって推測できるかもしれないなぁ。ヨーロッパでは必ずしもそうはいかず、農村部などでは従来の伝統や生活習慣が根強く残りやすかったのかも。


11 名前:6月10日生まれ[age] 投稿日:2001/06/23(土) 23:19
ところでオランダに留学した知人が、かの地では企業、大学などで終業時間が実にきっちり決まっていると申しておりました。例えば5時終業だったら、その時間には一斉にみんな帰り支度を始め、誰もいなくなってしまうと。居残りしようにも、用務員が鍵を閉めてしまうので、居残りようがないと。
それは東南アジアのとある国の官公庁でも全く一緒でした。ちょっと居残ったら、中に閉じこめられて困ったとかいう話も聞いたことがあります。

・・・その点から考えると、日本人ってものすごく時間にルーズですねぇ!!


12 名前:天之御名無主 投稿日:2001/06/24(日) 14:07
明治以降の富国強兵政策と密接な関わりが有ると思います。
要は、軍隊の規律を持ち込んだ、と。

戦前に石垣地方に石垣時刻というのが存在したそうですが、
これは国家総動員時代に廃止され、中央標準時に統一されました。
「時間」というのが、中央集権下での国家統制には重要な役割を
はたします。


13 名前:6月10日生まれ 投稿日:2001/06/25(月) 02:40
組織だって効率的に行動することが必要なときに「時間」が役に立つってことか。なるほど。

今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。


14 名前:6月10日生まれ 投稿日:2001/06/25(月) 02:42
組織だって効率的に行動することが必要なときに「時間」が役に立つってことか。なるほど。

今の学校制度では、始業時間にちゃんとみんなが教室に集まらないと効率的じゃない。
昔の寺子屋なんかどんな感じだったんだろう?
だいたい「なんどき」に集まるかだけ決めてあって、みんな揃うまでだらだら雑談してたのかな。


15 名前:つづき 投稿日:2001/06/25(月) 02:43
学校に遅刻することって、本人にとってデメリットではあるけど、
他の人にはたいしてマイナスはない。
(大半が集まらないと始められないのはもちろんだが)

でも遅刻しないことが求められるような圧力がかかる。少なくとも日本では。
時間に寛容な国では、そういう圧力はかからないのだろうか。


16 名前:つづき2 投稿日:2001/06/25(月) 02:44
つまり、時間に従うことそれ自体が目的化するかしないかの違いか?。

確かに日本では本来の目的を離れて手段が目的かすることが多いようだが・・・


18 名前:天之御名無主 投稿日:2001/06/26(火) 08:51
>>11 職員が帰りたい、また企業の場合は
雇い主が残業手当を払いたくないからでしょう。

>>16 たしかに、働いてみるとタイムカードがあるのは日本の
会社だけ。外国では仕事量単位で考えるので付き合い残業
などもない。
欧米では給料は仕事に対する対価ですが
日本は時間拘束に対する対価という感じです。
今は企業はもっと厳しいですが。


19 名前:天之御名無主 投稿日:2001/06/26(火) 09:35
明治以降との結論が出かけているが、ソレは違うぞ。昔、天智天皇
時だったか、漏刻(水時計)を作ったが、これは役人の勤務管理の為
ときいた。江戸時代でも勤務時間はきっちり管理されていたと聞く。
一般に時計の無いときでも、お寺の鐘や登城の為の太鼓の合図があった
事をお忘れ無く。


20 名前:日本@名無史さん 投稿日:2001/06/26(火) 15:53

日本人が時間に神経質というのは、あながち間違いではないだろう。
が、資本主義の発達が、時間単位の賃金という考え方を世界に広げている。
高度な資本主義社会に働く者は、時間を無意識に賃金換算して思考する癖がある。
これが、時間の運用に対する厳密さを要求する根拠となっている。


31 名前:人類学野郎 投稿日:2001/07/03(火) 00:04
大学の授業の関係上、フィリピン人(30人位)と一緒に踊りをやったことがあったけど
彼ら(彼女ら)は始まりの時間には常に現れず、平気で1時間や2時間
くらい遅刻する。もちろんそれがフィリピン人共通の事例だとは思わないけど
それでも、はやり僕には理解できず、「フィリピン時間」なるものが
あるとしか考えられなかった。


32 名前:天之御名無主 投稿日:2001/07/03(火) 01:05

紀伊国屋で待ち合わせをした。電話で「じゃ30分後に」
・・・・・・・・こない。
3時間後に現れて、「ちょっと風呂に入ってたから」
待ってる俺も俺だが、3時間遅れて平気で来る方も来る方だ。
お互い日本人。日本人も色々だねぇ。


85 名前:天声人語より1[age] 投稿日:2001/07/11(水) 09:45
日本人の「せかせか度」(天声人語・1985/2/28)

日本人は「せかせか度」にかけては世界有数、なのだそうだ。アメリカの学者が、
・銀行の時計の正確さ、
・街で人が歩く速さ、
郵便局員が切手一枚を売りさばく速さ
の三点を調べたところ、いずれも日本が第一位だった。

・は日、米、台湾、英、伊、インドネシアの順。
・は三十メートルを歩く速さが日本人が20.7秒、英国人21.6秒、米国人22.5秒。
・は日本が25秒で一位、六位のイタリアは47秒。
・はともかく、・と・がせかせか度の指標になるらしい。

今度来日した中国残留孤児の一行が銀座を歩いたことがある。一人が
こういった。「みな緊張したおももちでせかせか歩いている。中国人は
もっと散歩するように歩きます。」外から見ると、私たちのきびきび、
せかせかはやはり相当なものらしい。


86 名前:天声人語より2[age] 投稿日:2001/07/11(水) 09:46
もっとも、明治の初期に来日した米国の生物学者E・S・モース
『日本その日その日』の中で、東京ののんびりした街頭風景を、
なかば感嘆しながら書いている。
当時は歩道もなく、人力車が通ると、通行人はのろのろと横に寄る。
「日本人はこんなことにかけてはまことに遅く、我々の素早い動作に
びっくりする。」

そのすばやい動作のアメリカ人を日本人が追い越すようになったのは、
いつのころからだろう。NHKの稲垣吉彦さんが、漫才のリーガル千太
万吉と、人気のあったころのツービートとのおしゃべりを比較している。
前者は26年前、後者は5年前の録音である。驚くべきことだが、ツー
ビートは70秒間に、千太・万吉の二倍近い約660字分の言葉をしゃ
べっていた。

歌謡業界では一年に何百人もの新人が登場しては消え、出版界でも、せっ
かく出版された本がたちまち消えていく。この現象もせかせか度とどこか
関連があるはずだ。

来日中、新幹線に乗ったトウ小平さんが「後ろからムチで打たれて
追いかけられているようだ」と語ったことがある。日本人が何かに
追いかけられるようにしてかけだしたのは、あの新幹線誕生のころ
から、ではなかったか。


99 名前:天之御名無主 投稿日:02/07/14(日) 10:28
のーんびりした人は時間に神経質ではなかろう。
約束の時間の数時間前から待ってたりする。かと思えば
「今日約束したっけ」なんてこともいう。べつにぼけていない。
何かやらせると、ちゃんとする。ただ時間がどうでも良くなってる。

別に予定もない・せっかちでもいらちでもない人が時間に神経質、
たとえば病院で10時に予約して10時2分に「遅い」と看護婦に
くってかかるのはそりゃ「粘着気質」であって、正常でない。


102 名前:天之御名無主 投稿日:02/07/14(日) 11:37
何代にも渡って、あくせくしなくてもやって行ければ、
時間に神経質にはならないでしょうね。
何かをいつまでに何とかしなければならない状態がつづけば
当たり前ながら時間に神経質になるでしょう。そうでなければ
誰が神経質になりますか。


103 名前:天之御名無主 投稿日:02/07/14(日) 11:44
イラチが電波時計もったら最強の時間フェチ誕生?
でも
時計が1秒狂っていても気に入らないやつが時間にルーズで
遅刻常習犯というのもいそうだね。それは単なる時計オタか。


104 名前:天之御名無主 投稿日:02/07/15(月) 22:21

主観の域を出ないんですが…。

「どれだけの人が集まって一緒に仕事をするか」にもよるんじゃないかな?
例えば、家族で農業や牧畜をやって、自給自足に近い生活をしている人たちなら、
敢えて何時にどの仕事をするか事細かに決めなくても長年の習慣に従ってやればいいし、
「そろそろ始めようか」「これが終わったら次はこれをするぞ」と声をかけ合うだけでどうにかなる。
でも、会社とか工場とか、一緒に仕事をする組織が大きくなるとなかなかそうはいかないでしょ。

第二・三次産業従事者の割合と、時間への正確さの関連を調べたら何か分かるかなぁ。
もっとも、会社経営の大規模農業が盛んなところだとまた事情が違ってきそうだけど。


118 名前:天之御名無主 投稿日:03/05/03(土) 12:20
昔のライダーカードに
ゲルショッカーの掟
ってのがあったのだが
裏切り者は殺すとかのなかに
遅刻したものは殺すというのがあって
ハゲシクワラタ


130 名前:天之御名無主 投稿日:04/06/29(火) 23:39

奈良時代の官吏が遅刻したために、その日の仕事ができずに俸給(現物支給だった?)がもらえなかったという記録が残ってる。
だから、上層階級が時間にシビアだったのは、かなり古くからの伝統だったんだろうね。

江戸時代になると町娘の日記の中に、頻繁に時間が書かれているので、町人の中にも時間の概念が浸透していたのだろう。
しかし、町娘が日記を残したというだけでも驚きだ。日本の文化水準って、高かったんだなぁ。


131 名前:天之御名無主 投稿日:04/06/30(水) 03:59
数分の遅れでもいちいち文句言うからだろう。
寛容を忘れた人間が多いということだろうね。


139 名前:天之御名無主 投稿日:05/03/19(土) 13:18:13

毎日、毎日スケジュール通りの生活を送る勤勉なドイツ人がいたことを思い出すよ。そいつはドイツの最高指導者になったがベルリンを廃虚にしてしまった。日本もそう。ある程度時間にルーズな方が人間は幸せに暮らせるのだ。


141 名前:天之御名無主[] 投稿日:2005/04/21(木) 22:07:13
>>139
そいつと組んで、ローマを廃墟にしようとした男は、ルーズだったよ。
もっとも、廃墟にする前に民衆につるし上げられたけど。

今考えたら、こんなバラバラな国民性でよく同盟なんか組んでいたと思う。

「一時間くらい前にくるのがドイツ人と日本人、15分くらい遅刻してくるのがイタリア人」と言うジョークもあるらしい(実際には他の国のパターンも色々あるようで、スペイン人やポルトガル人はもっとひどいそうだが)。次はイタリア抜きでやろうぜ。


ただ、自分は日本人としては相当時間にルーズなほうだと思うのですが、人によっては時間を正確に決めずに待ち合わせをするだけで相当にイライラされるのでちょっと困るなあ、と。こちらが早くついて「今どのへん?」と聞いた場合でも「時間に遅れたわけでもないのにプレッシャーをかけるな」と怒られて閉口することもあります。ただ、待ち時間の目安を知りたいだけなのに・・・

自分があんまりそういうことを気にしないので、どうもそういう感覚がよく分からないのですね。明らかに遅刻なら、当然、まあ謝りますが・・・。

日本人でも個人差があるということです。