KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

知ったかで文学を語るスレ(文学)

知ったかで文学を語るスレ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1072625341/

昔、似たようなスレを紹介したことがあるな。

1 名前:ファルスマン ◆yxnU6MROKk 投稿日:03/12/29 00:29
モオパッサンには理知が足りないような気がする。
もうちょっとね。アバンギャルド


2 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:03/12/29 00:30
春樹っていいよね、
なんていうか、おしゃれ。


3 名前:吾輩は名無しである 投稿日:03/12/29 01:20

落合伸彦、かっこいい
男の中の男だな
マジ、憧れる


8 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:03/12/30 03:43
デリダ? ああ、あいつは読者を煙に巻くことしか考えてないね。


16 名前:吾輩は名無しである 投稿日:04/01/02 05:22
「変身」にはカフカの性的願望(巨根コンプレックス)が投影されているな
これは間違いない、まだ2ページしか読んでないけど


17 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:04/01/03 06:19
戦争と平和読んだこと無い奴はある意味不幸だ。
俺は読んでないけど


23 名前:吾輩は名無しである 投稿日:04/02/09 20:15

ドストエフスキーって形而上学的な幾何学だよな
形式論理な文法生成であり、かつ演繹な帰納だという
すごいよな・・・



24 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:04/02/09 20:26
そういや、ドストエフスキーは処女作が馬鹿受けだったんで、
駆け出しの頃、増長しまくったらしいが。

25 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:04/02/10 00:22
>22
違うな。ドストエフスキーの文学全体を包んでいる
形而上学の発端』と『形式理論におけるカリカチュア』の
相互的に矛盾するというドストエフスキー自らの理論から
くるものがお前の言うそれであって、本質はもう少し難解だ。
ずばり言ってドストエフスキーの文学にはかの漫画家水木しげる
死生観が生々しく存在している。例えば彼の晩年に書かれた怪作である
『小豆を探す男(下)』の第五十三章『痴人の蒔いた種』には
「炭火焼きにはかかせないね」というあのセリフこそそれなのだ。

まあとりあえず、ドストエフスキーを読みたいなら彼の代表作である
人間失格」から始めろ。


26 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:04/02/10 01:02
伊豆の踊り子
このタイトルの途方もなさと砂のごとくきめ細やかさに
作者の人生観が簡潔に集約されているね。


27 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:04/02/10 07:55
限り無く透明に近いのに、
それがブルーであることを識別できるというのは
やはりさすが文学賞を受賞するだけのことはあるね。


36 名前:ハル ◆Qt4NjLjcJE 投稿日:04/02/11 21:37
こういうスレタイっていいね。肩肘張らずに気軽に書き込めるから。
で、知ったかで文学をちょっと語ってみますよ。
瓢箪から駒、ということもあるかもしれないんで。

ぼくが文学作品に求めているものは「旅」。
本を、文学作品を読むことは「旅すること」じゃないかと思う。メイビ。

「ここではないどこか」という空間。
「今ではないとき」という時間。
「自分じゃない自分」という存在。
決して身体を動かさなくてもできる「旅」がある。
むしろ身体を一歩も動かさないことで可能になる「旅」もある。
空想世界へのモラトリアムな逃避行じゃなく、未知なる時空への冒険。
『アフリカの印象』を書いたレーモン・ルーセルなんかを想起しながら。
ルーセルはほとんど国を出ることはなかったと思う・・・)

「冒険」という言葉で思い浮かぶのは、ぼくにとってドゥルーズ
ドゥルーズのいうマイノリティというのは決して少数民族だけを指さないし、
ノマドというのも決して遊牧民だけを指してもいない。
ドゥルーズの文学論、特に『カフカ』を念頭におくと、
マイノリティやノマドというのは言葉との係り合いの中で定義されてたような。
(やばいっ! 読み返さないと漠然とした印象しか思い浮かばない・・・)

Sorry。とりあえずこんなもん垂れ流しておきます。



90 名前:吾輩は名無しである 投稿日:04/04/13 21:42
太宰治も青春時代の瑞々しい感性で書いた「走れメロス」は傑作だけど、自殺直前
に書いた「晩年」になるともう見てられないよね。感性がジジィ化してて。この人、
芥川賞取ってからダメになったと思うのは自分だけ?


102 名前:吾輩は名無しである 投稿日:05/03/03 09:50:59
まくらのそうし?って女の人が書いた「源氏物語」で、義経源頼光に討たれる
場面は鳥肌モノでした


105 名前:えーい、しずまれ 投稿日:05/03/20 01:15:49

>>102
平家物語は平家一門の栄華盛衰を書いた物語で源氏物語は源氏一門の栄華盛衰を書いた物語
でしゅ。


125 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/03/26(土) 10:35:56
結局文学ってのは納豆と同じなんだよね

126 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/03/26(土) 12:41:50
それはよく見かける例えだけど、使い古された感があるな


127 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2005/03/26(土) 14:13:21
>>126
だね。「文学=納豆」ってのはnew赤の連中が盛んに連呼してたことだけど
結局それってフランスの「文学=チーズ」の焼き直しなんだよな。
いまさらデリダかよって思っちゃう


128 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/03/26(土) 20:06:19ヨーロッパでは「チーズ」とか「リンゴ」などの固形物
が宇宙の隠喩として利用されることが多い。それが日本に入ると
「納豆」や「おにぎり」といった、粒状のものの「緩やかな固まり」
翻訳=翻案されてしまうことに潜む/隠蔽される諸問題が、
八十年代にはさかんに言われたものだよ。
穴をうがたれうる柔らかさと、存在し続ける強度をあわせ持つものこそ
固体としての「思想」であるとするなら
それはこの湿度の高い国では存在できないってこと。



129 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/03/26(土) 20:31:07
そこからロラソバルトがいった「見えない中心=てんのう」
の「梅干し」説が出てきたわけ。


130 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/03/27(日) 02:25:18
カラマーゾフの兄弟」読了。
血縁という神秘、そして家族愛の深さに心を打たれた。
これはNHKあたりでアニメ化して、子供達にも親しんでほしい。
今の子って世界名作全集とか、そういうの手にとらないだろうから。

私生児や殺人事件の出てくるNHKアニメか・・・

参考:馬鹿が知的会話を醸し出そうとしているスレ