KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

「外国」と言う国は存在しない

前回の記事に関連する話。
昔、確か引っ越す前の2003年頃、株板で「小泉恐慌」と言う言葉が飛び交ってたころだと思うが、英会話学校に通っていた時期がある。


英会話学校なので、外国人の先生がいて、日本人の生徒が数人いて、英語で会話する、と言うことになる。


その時、景気の話になって、同じ学校の生徒だった日本人男性が「やはり構造改革をちゃんとやらないとだめなんですかねえ・・・」
と言うことを言っておられたので、私の拙い英語(と、経済知識)でどう説明したらいいのだろう、と考えていたところ、外国人の先生がこんなことを言っていた。


「僕の友人でこういうことを言っていた人がいるよ。(デフレが深刻なんだから)とにかくどんどん紙幣を刷って、お金を増やせばいいんだ、と」


・・・つまり、リフレ派の先生だったわけですな。


今考えると、あれは示唆的な会話だった。当時は「不良債権処理を加速化させないと日本は外国人から見捨てられる。それこそが構造改革だ」と言う悲壮感に満ちた言辞が幅を利かせていたように記憶している。


ところが、当の外国人の口からこういう言葉が出てたわけで、マスコミのいう「外国人」って何、と言う話である。「構造改革」の呪縛に縛られていたのは実は日本人なのかも。


いや、「小泉カイカク」を支持する外国人もいるだろうけど、そういうことを言わない外国人もいるわけで。


世界にはたくさんの国・人種・職業の人がいるのに全部一絡げにして言うことにそもそも無理がある。


昔、子供のころ「外国」と言う国が存在すると勘違いしている奴がいたが、いまだに感情的にはそういうイメージを持っている人が少なくないのかも知れない。


世の中、それぞれがそれぞれの思惑で動いているわけで、「外国人」が口を揃えて日本を「指導」しているかのような言論は実につまらない。


言っちゃなんだが、自説に都合の良いところを切り取ってるようにしか見えないことも多々あるし・・・


各人がそれぞれの立場で経済合理性にしたがって動いた結果、日本にとって有利になる場合も不利になる場合もある、というところでは。