KJ-monasouken’s diary

昔「モナー総研」と言うスレ紹介ブログやってた人のブログ。いまはTwitterの活動がメイン。

東京都知事を取り巻く「甘えの構造」


まあ、こんなことにこだわる私自身もどうかと思うし、多分同じような言及はどこかでされてるだろうとは思うけど。



石原知事定例記者会見録
http://www.metro.tokyo.jp/GOVERNOR/KAIKEN/TEXT/2010/100219.htm

【記者】今、カナダのほうでは、若者たちも、あるいは高齢者も含めて、バンクーバーオリンピックというものが熱気を帯びて、日本人も大活躍を一応していると…。


【知事】してる?してないんじゃないの。


【記者】してます。一応、頑張ってると思います、真剣に。


【知事】あっ、そう。


【記者】はい。本番に向けて、今までやり遂げてきたことを披露しようというような形で、力を出し切れない人もいるかもしれませんけども…。


【知事】なぜ出し切れないのかね。


【記者】本番にちょっと弱かったりなんかすることもあるでしょうけど、精神的なものもあるかもしれませんし。もしかすると、それは日本国内の教育の問題で、せーのでスタートして、手をつないで、ゴールインしようとか、そういうような、いろんなことが加味されてくるんではないかと。そうしたことを考えてみますと、日本国内の教育の中で、ゆとり教育っていうんでしょうか、学校の週五日制とかそういったものが、十数年にわたって、今行われてきて、そろそろ見直すことも考えられるんではないかと。知事もきっと、そういったことをお考えになっておられるんではないかと思うんですが、まず、冒頭、お尋ねしたいと思いまして、質問させていただきました。


【知事】日本勢が不振であることは、誰が見ても確かだと思います。アスリートの世界、競技の世界というのは、横並びっていうのは絶対あり得ないんです。0.01秒の差でも、1位、2位が決まるわけです。それで、おっしゃったみたいに、横並びというものを是とするみたいな風潮というのは論外だと思うけど。選手たちが思ったより高く跳べない、思ったほど速く走れないのは、重いもの背負ってないからなんだよ。国家というものを背負ってないから、結局、高く跳べない、速く走れないと私は思います。

<中略>

 東京の教育委員会、頑張ってくれて、都立高校では、近代史、現代史というものを必修化することにしました。とにかく大学生が、60年前の太平洋戦争があったということを知らないでいるような時代ですから、そういう国は非常にいびつだとしか言いようがないと私は思います。その結果が、このオリンピックですよ。


【記者】この記者会見場の中でも、私なんかは比較的年上のほうですから…。


【知事】相当年上ですね。お互いに。(笑)


【記者】学校時代に、道徳の授業なども確かにありまして、その道徳が別に、復活させろとか、よかったとかではなくて、その授業の中で、1つのテーマで、クラスメートが話し合ったり意見を交換し合ったりするという、あれは非常によかったなと。懐古主義ばっかりではいけないんですけれども、そういったものが、これからの将来の若者たちの伸びるために、何かしらこう新しいものを見つけてやるべきではないかというふうに思うんですけど。


【知事】全くそうです。それは、懐古主義じゃないと思う。日本にとっちゃ懐古主義になるかもしれないけど、ほかの先進国ではみんな、つまり、依然として同じことをやっているんじゃないんですか。例えば、アメリカの大学、アメリカの高校のドミトリー(相部屋の寮)の生活様式なんていうのは、ずっと変わってないと思います。それは、風俗的にはいろんな違ったもの出てきているかもしれないけど、日本だけです、こういうふうに本質的に変わっちゃったのは。


【記者】悪いほうに変わりましたね。


【知事】悪いというか、たわいないものになっちゃった。それで、結局、何をつくったかっていったら、甘えの構造ですよ。甘ったれの構造ですよ。残念だけど。


【記者】ありがとうございます。


アホかと思うようなやり取りですが、これがそこらの居酒屋でやられてるならともかく、都知事と記者の記者会見の席上でやられてるわけですな。


大体、冒頭の記者の質問の仕方が変だ。「ゆとり教育とか学校の週五日制」を悪いものとまず決めつけ、それを「知事もそう思いますよね?」と媚びているようにしか見えない。それに調子に乗って、好き放題自分の言いたいことを言っていい気になってる都知事都知事。なんか、この記者最後の「ありがとうございます」で「やっぱり都知事は俺らの言いたいことを言ってくれる」とニヤニヤしてそうな気がする(まあ、憶測で物をいうの良くないですけどね)。


ゆとり教育自体は私もいいものとは思ってませんが、それを盾に取って上の世代の人間が叩きの材料に使うのは醜悪としか言いようがないと思う(これは、石原世代より若い人々にもたまに見られる傾向かもしれないが)。世代ひとくくりで叩くのは感心しませんな。一つの世代にもいろいろな人間がいて、個人差があって当たり前だし、詰め込み教育の時代だって消化できない人たちはいくらでもいたはず。


そもそも、日本の冬季オリンピックのメダル数なんか、アルベールビルまではメダル一個とれればいい方(札幌は、まあ地の利があるからねえ)。

参考:冬季オリンピックにおける日本のメダル数
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3987.html


メダル数が右肩下がりに下がっていると言うならともかく、単にアルベールビル〜長野が異常に良かっただけと言う見方もできなくはない。
石原都知事は1932年生まれだが、その同年代の人が若者だったころ(オスロあたりかな)はオリンピックでメダルなんかろくに取れてやしないのだ。


「その頃は日本も経済的に豊かでなくてろくに設備もノウハウもなかったんだからしょうがない」とか言うのかもしれないけど、だったら尚更精神論振りかざすのはおかしい。設備投資とノウハウ蓄積のおかげでようやくメダルに手が届くくらいにはなったわけだから。精神論が何の役にも立たないということの根拠となるだろう、むしろ。


あと、ゆとり教育の開始は1980年度と言われているから、その18年後の長野オリンピックにはもうゆとり教育開始後の世代が選手として入ってきてるんじゃないのかね?ご存じの通り、地の利があったとはいえ、長野オリンピックは日本が史上最高の実績を上げた大会である。

参考:ゆとり教育―Wiki


まあ、こういう非論理的なやりとりを都知事がやっても許される、と言うのはまさにこれこそ「甘えの構造」と言うしかありませんな。


われわれ都民は石原都知事を甘やかしすぎたんでしょう、残念だけど。(私個人としては一回も投票したことないのだけれども)



<補足>
<五輪スピード>日本女子が銀メダル 団体追い抜き
http://vancouver.yahoo.co.jp/news/ndetail/20100228-00000012-mai-spo

バンクーバー飯山太郎】バンクーバー冬季五輪のスピードスケート女子団体追い抜きは27日(日本時間28日)、当地近郊の「五輪オーバル」で準決勝と決勝が行われ、穂積雅子田畑真紀(ともにダイチ)、小平奈緒相沢病院)の布陣で臨んだ日本は銀メダルを獲得した。


今大会の日本勢のメダルは通算5個(銀3、銅2)となった。

5個?全然悪くないじゃん。むしろいい方だ。昔と単純比較できるもんでもなかろうし、金はないけど。