超「超」整理法など
- 作者: 野口悠紀雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2008/09/18
- メディア: 単行本
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「超」整理法の押し出しファイリング方式は実行してみたことがあるのだが、あまりうまく機能しなかった。多分、野口氏のように大量の書類をさばく必要がある人なら押し出しファイリングくらいしか整理法がなくなるのだろうが、一般人の場合は普通に分類した方がいいように思ったことがある。
ただ、今回の超「超」整理法はその間のテクノロジーの進展により「グーグル・デスクトップやGメールの利用により、デジタル・オフィスが現実のものになった」と言う趣旨なので、ある意味万人に受け入れやすくなったのかもしれない。
この人の考え方は基本的に合理主義の塊なので、既存の常識に縛られていないのが良い。この年で柔軟性を失っていないのはすごいことではないだろうか。
数学に関する記述が興味深い。
大学教養課程の数学のクラスで聞いた「数学は暗記だ」と言うS助教授の一言が、数学に対する私の考え方を根本から変えた。
<中略>
高校生の時、私は「数学を理解しなければならない」、また「問題の解法は自分で考えださなければならない」と、無駄な努力をしたと思う。「解き方を覚えて先に進んで良いのなら、もっと簡単なのに」と考えていた。
<中略>
教師はまた、「人の真似をするのでなく、自分の頭で解き方を考えだせ」と言う。だから、私は、「教科書に書いてある解き方を見る前に自分で考えなければならない」と言う強迫観念に悩まされ、そうできない時には劣等感を覚えた。しかし、今覚えば教科書の方法を覚えるだけで先に進んでもよかった。なぜなら、多数の問題の解き方を見てそのパタンを覚えてしまえば、たいていの問題はその応用として解くことができるからだ。それに、最初にその解法を考え出した人は、長い時間と試行錯誤の末に成功したのに違いない。そうした先人の労苦はありがたく利用すればよいのであり、同じ苦労をすべての生徒が繰り返す必要はない。
この記述がなぜ興味深いかと言うと、私は高校のころ和田秀樹氏の本を読んで、そのままずばり「数学は暗記だ」と言う言葉を読んだことがあるからである。
一応進学校だったとは言え、高1、高2のころは数学で一ケタの点数を取ったこともある文系脳の私が国立大学に入れたのはこの「数学は暗記だ」と言う言葉に触れて、そのあとは無駄に自分で考える時間を取ることを一切やめたからだと思う。だって、本当に数学センスがある人ならともかく、自分に見たこともない数学の問題が解けるわけないし。典型的な解法を覚えて、出てきた問題がどういう組み合わせで解けるかを考えた方がはるかに早い。
自分の頭で考えることは重要だが、それは時と場合によると思う。研究者を目指すわけでもなし、受験数学だけが目的なら人の成果に乗っかるのが合理的だろう。むしろ、そういう技術的なことはできる限り効率化して、別のことに頭を使った方がよほど「自分の頭で考える」ことにつながるのではないか、とも思う。
- 作者: 野村総合研究所ノンペーパー推進委員会
- 出版社/メーカー: アスキー・メディアワークス
- 発売日: 2010/02/09
- メディア: 新書
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とりあえず、会社の机はかなり片付いている方なのだが、家の机がまだまだ整理できない状態だ。
紙を印刷すれば仕事したような気になってちゃいかんよなあ、とは思う。